VIPO

インタビュー

2023.09.11


イタリア企画マーケットに参加した若手プロデューサー小山内照太郎、鈴木徳至、後藤美波、3人に聞く! 国際共同製作の魅力と今世界はどうなってる……?〈前編〉

〈前編〉「ひらめきやエネルギーは国際映画祭やマーケットに参加すると生まれる!」

 

VIPOでは、世界で活躍できる若手映画製作者を育成することを目的に「VIPO Film Lab」を2021年度より運営しています。その中の1コースである「脚本コース@ウディネ」*1では、ヨーロッパの団体EAVE(European Audiovisual Entrepreneurs)が主催するラボ「Ties That Bind(TTB)」*4、およびイタリア・ウディネにて開催される「ファーイースト映画祭」インダストリー部門(企画マーケット)「FOCUS ASIA」*5との共催事業として、EAVE所属の講師による脚本個別指導を実施しています。また今年度は、「FOCUS ASIA」企画マーケット「ALL GENRES PROJECT MARKET」*2、およびワーク・イン・プログレス部門「FAR EAST IN PROGRESS」*3への参加者も募集し、2023年4月26日から28日の3日間、イタリアにて「FOCUS ASIA」に参加しました。今回は同企画マーケットに同行した映像事業部・伊藤壮哉がインタビュアーを担当。〈前編〉〈後編〉に分けてお届けいたします。
(以下、敬称略)

 

「ひらめきやエネルギーは国際映画祭やマーケットに参加すると生まれる!」〈前編〉

小山内照太郎さんの場合

 

VIPO 映像事業部 伊藤壮哉(以下、伊藤)  みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます。まずは、これまでの経歴やどんな映画祭やマーケットに参加されてきたかなどを教えていただけますか? 
 
まずは、小山内さん。朝早くからありがとうございます。こちらは15:30ですが、パリは今何時ですか?
 
Survivance 小山内照太郎(以下、小山内)  8:30です(苦笑)。
 
小山内氏僕は20年前にフランスに移住しました。京都での学生時代に熱中していた上映活動をもっと国際的なコンテキストでできないかとぼんやり思ったのがきっかけです。
 
映画業界には15年ぐらい前から携わっています。最初は製作ではなく映画祭のプログラムや字幕翻訳などから入り、ナント三大陸映画祭などで日本映画のキュレーションに長らく携わっていました。プロデューサーを目指したことは実は一度もないんです。自主製作・自主配給でキャリアをスタートしている同世代の監督たちが、フランスをはじめとしたヨーロッパでまだ知られてないことに気がついて、彼らの作品を紹介したい、彼らがより自由で国際的な作品を作るために一緒にやりたい、と思った延長で、この活動が続いています。
 
今のところプロデューサーとして完成したのは3本のみで、富田克也監督の『バンコクナイツ』『典座ーTENZOー』、去年は山﨑樹一郎監督の『やまぶき』という作品を製作しました。『バンコクナイツ』はフランス・タイ・ラオス、『やまぶき』はフランスと国際共同製作しました。
 
30以上の映画祭に参加したことがありますが、企画マーケットに自分の企画で参加したことはないですね。ただ、映画祭側のスタッフとして参加したり、他のプロデューサーの企画のミーティングにお邪魔したことはあるので、どんなものかは知っています。
 
伊藤  子供の頃から映画に関わりたかったのですか?
 
小山内  高校生ぐらいから映画を見始めるようになりました。僕は生まれが青森県で、文化とは縁遠い環境で育ちました。たまたま買った『メンズノンノ』に、北野武監督とクエンティン・タランティーノ監督が載っていて、それで興味を持ったんです。
 
大学時代は遊びで映画も作りましたが特に熱中したのは上映活動で、「京都国際学生映画祭」を学生たちだけで運営することになったときの立ち上げにも参加しました。
 
伊藤  今はSurvivance(シュルヴィヴァンス)に所属されていますが、そこでどのような活動をしていますか?
 
小山内  シュルヴィヴァンスは製作と、フランスでの配給の両方をしています。製作会社としてはもちろんフランスの助成金にアクセスできるので、僕は特に日本の監督との企画を、フランス人の同僚たちと、同じく所属する妻でプロデューサーの大野敦子と一緒に国際共同製作で進めています。フランスでの撮影のコーディネートなどもしています。
 
配給会社としては世界中のアート系作品を扱っていて、僕の関わった日本映画や、最近ではペドロ・コスタ監督の『ヴィタリナ』『ホースマネー』などを公開しています。日本映画の配給は僕がサポートしていて、もうすぐ、相米慎二監督の『お引越し』『台風クラブ』4k修復版を劇場公開します。
 
鈴木徳至さんの場合

 

鈴木氏コギトワークス 鈴木徳至(以下、鈴木)  大学が早稲田の第一文学部で演劇映像専修という、みんなが映画や演劇を学んでいるようなところにいました。ただ僕は大学になじめず、多摩美術大学の友人などと外で活動をしていました。
 
学生時代に石井克人監督の自主映画にスタッフとして参加させて頂く機会があり、それが「ベルリン国際映画祭」(以下、ベルリン)のジェネレーション部門に入選して、自腹でベルリンに行ったことが原体験となっています。それが20歳くらいのときで、しかも少しだけ出演していたので、ベルリンでのバッジには「Actor」と書いてありました。未だにIMDBにもアクターとして載っているんです(笑)。
 
石井監督に「脚本を書け」と言われて勉強していた時期が結構ありまして。25歳ぐらいまではずっと脚本を書きたかったんです。勉強しながらNHKの番組制作の仕事をしたりしている中で、やっぱり映画をやりたいと思って独立しました。独立後も日銭を稼ぐために病院の警備員などをやりながら脚本の勉強をしていました。
 
過去の制作経験や脚本の勉強を通して、ひとりで机に向かうよりもみんなで何かをやる方が向いていることが分かってきて、「プロデューサーなのかもしれない」と思いました。
 
それで世界で活躍できる方向性がいいと思って調べたところ、経済産業省が3年間やっていた短編製作プロジェクト(事務局:ユニジャパン)の最後の年にプロデューサーも公募していて。募集要項を見る限り、何の実績もない僕でも応募できそうだったので、ベルリンに行った経歴などを書いて応募したところ、10名の候補に選ばれたんです。
 
10組中3組が150万円という予算で10分の短編を製作できる企画でした。そこでPFFに入選歴のある監督たちとマッチングをしてペアを組んで企画をプレゼンしました。自分なりに企画のコンセプトを作ってプレゼンした初めてのピッチでした。その3つの企画に選ばれて、初めてプロデューサーとしてお金を出してもらって短編映画を作りました。
 
その作品が翌年のカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門にノミネートしまして、監督やキャスト・スタッフとともに映画祭に参加しました。小山内さんにもそこで初めてお会いしましたね。
 
それからは日本でもその繋がりで、いろいろな作品に関わらせていただきました。わりと制作サイドのプロデュースの仕事が多かったですね。企画と予算はすでにあったり、監督と一緒にやる自主映画だったりすることが多かったです。
自己流でプロデューサーと制作部の業務を兼ねるような形で予算を圧縮するプレイスタイルでした。
 
小さい規模で短編や中編を作ったりすることを繰り返していたら、製作費1,000万円以上の話がくるようになりました。ただ、1,000万円以上預かってもまだ無事に運べるほど経験値がないので、このままだと事故を起こすかもしれないと思い、友人経由で石井岳龍監督の長編作品に制作部として参加させてもらい、商業規模の現場の基本を学びました。
 
それから2年ぐらい、大から小まで様々な現場を経験させてもらったことで、ある程度の規模であればラインプロデューサー業務ができるようになりました。でもフリーランスだったので、主体的に制作委託契約を交わせなかったり、立替えられるお金にも限界があるなど、いろいろ無理が出てきた中で、今いる会社、コギトワークスに誘ってもらいました。
 
伊藤  わりと最初から海外への視点が向いていたのは何かきっかけがあったのですか?
 
鈴木  「ベルリン国際映画祭」ですね。自分たちの映画ももちろんとても温かく受け入れてもらいました。その年はある日本映画がベルリンで評価された年で、「こんなに国際舞台で日本の映画が盛り上がるんだ」と感じました。
 
それで映画祭にまた来たいと思い、20代はずっと映画祭へ行くためだけに映画を作っていました。それだけ考えて、生活費は広告やテレビの仕事などで稼ぐという生活でした。
 
伊藤  有言実行し続けていますね。
 
鈴木  打率だけはそうですね。運良く才能のある作家の方たちと出会えたんです。別に僕が何かをしているわけではなく、いい本を書く作家がそばにいたというのが自分の中での評価です。
 
後藤美波さんの場合

 

後藤氏Cobalt Picture 後藤美波(以下、後藤)  私は東京の大学で美術史を専攻して、卒業後、NYのコロンビア大学 大学院のフィルムスクールへ行きました。ですので、映画を作り始めたのはだいぶ遅いです。そこで初めて演出と脚本とプロデュースを学びました。NYということもあって、インディペンデントという感じで。そして映画学校にいる間にいくつか短編を作って、映画祭に行き始めました。
 
2019年に日本に戻ってきてからも引き続き自分で監督しながら、短編ドキュメンタリーや中編のフィクションなどを作り続けていました。今回は同い年のフィルムメイカーと映画祭でお会いして意気投合して、私が脚本とプロデュース、彼女が監督とプロデュースという形で、二人三脚で長編映画を作ることになりました。
 
伊藤  そうすると、アメリカの映画祭が多かったですか?
 
後藤  最初に上映してもらったのが「ショートショート フィルムフェスティバル」で、そこで脚本・ピッチコンペで賞を獲ってきちんとした予算をいただいて、短編の監督と脚本を初めてプロの方のいる現場で作りました。それが映画業界での最初の仕事でした。
 
他には「HollyShorts Film Festival」などで上映をしてもらっていました。
 
日本に戻ってきてからは、VIPOの「プチョン国際ファンタスティック映画祭」の「ファンタスティックフィルムスクール」、今年は「ロッテルダムラボ」に参加しました。それ以外にも自分で「京都フィルムメーカーズラボ」などにも参加をして。日本でもネットワークやコネクション、経験とスキルを得られるようにと思いながら動いていました。
 


 

伊藤氏伊藤  それではウディネについてお聞きします。今回3つのプログラム(①小山内:「VIPO Film Lab」 脚本コース@ウディネ、②鈴木:FOCUS ASIA「ALL GENRES PROJECT MARKET」〈企画マーケット〉、③後藤: FOCUS ASIA「FAR EAST IN PROGRESS」〈ワーク・イン・プログレス〉)に参加いただきました。それぞれの視点で、どのような目的と期待を持ち、実際にはどうだったのかお話いただけますか?

 

小山内照太郎さんの場合

 

(「VIPO Film Lab」 脚本コース@ウディネ:すでに企画・脚本を持つ国際共同製作等、国際的な活躍を志望する新進プロデューサーを選出。脚本をより国際的に通用する内容へとブラッシュアップを行うための脚本個別指導を行う。)
 
小山内  夏から国外のパートナーを探し始めるために準備稿の完成を目指していたところだったので、脚本をスクリプトドクターの方に読んでもらうには絶好のタイミングでした。本当にちょうどよいタイミングでVIPOからメールニュースが届いたんです。
 
伊藤  ウディネはどのような流れでしたか?
 
小山内  鈴木さんと後藤さんは、映画祭が提供する日々のプログラムがあったと思いますが、僕の場合は、脚本指導以外は特に何も決まっていませんでした。合間の時間や、昼食・夕食会で、自由にミーティングやネットワーキングさせていただいてました。
 
小山内氏脚本コースでは、「TTB(Ties That Bind)」(以下、TTB)EAVEの脚本のコンサルタントをしているイギリスのクレア・ドーンズ(Clare Downs)さんに指導していただきました。正直なところ、スクリプトドクターというものにはずっと偏見があったのですが、プロデューサーで一緒に映画を作っている妻の大野から「クレアさんは本当に面白いから絶対に行った方がいい!」と推薦されていて、実際に本当に良かったです。
 
伊藤  どういう偏見を持っていたのですか?
 
小山内  僕の“フランス在住の日本人”という微妙な立場も影響していると思いますが、僕は日頃から、キリスト教の影響が強いヨーロッパと、アジアの考え方の違いが気になっているんです。ヨーロッパの方と一緒に映画を作っていると、一方的に彼らの信じる型にはめてくるような言い方をされることがあって、「どうかなぁ……」と思っていました。
 
あとは、「スクリプトドクターって自分で書かないのに文句言うんでしょ? 偉そうだな。」 と思ってました(笑)。
 
伊藤  実際はどうでしたか?
 
小山内  今回のクレアさんのようなスクリプトドクターは、ヨーロッパのインディペンデントの国際共同製作のマーケットに紐づいてそこからお金を得ているので、いかに助成金の基準にはまるかの基準を教えてくれる方だと思っています。クレアさんはそこを非常にわきまえてアドバイスをくださる方だと思いました。「これではヨーロッパのマーケットに通じないよ」「ヨーロッパの助成金とれないよ」とはっきりと言葉にしていたわけではありませんが、あくまで自分のミッションの範疇で助言くださってると思いました。
 
脚本を良し悪しで点数をつけるような話し方ではなく、こちらのやりたいことを少しずつ外側から確認しながら進めてくださり、脚本の全体の構造、今めざしていることを踏まえながら、欠けている要素を具体的に少しずつ、言葉にして頂いた1時間半だったと思います。
 
対話風景クレアさんの指摘の多くは、僕たち自身も改善が必要だと思っていた部分だったので、正直なところ驚きはありませんでした。ただ、今回の作品も、海外で資金調達して、世界中で上映したいと思っていますから、日本人だけのチームで作ってきた脚本について、クレアさんと同じ見解をシェアしていると確認できたのがすごく良かったですね。
 
今回の企画は日本のある社会的なコンテクストを基にしているので、ヨーロッパの視点からどう見えるか? どうユニバーサルな作品たりえるのか? を知りたかったんです。今回、意外にも全てきちんと伝わっていることがわかって、背中を押してもらえたところがありました。
 
それと同時に、ぼんやりと感じていた問題点をはっきりと言葉にしてもらったことで、改稿の上でのインスピレーションをもらえたと思っています。
 
伊藤  昼食、夕食会はいかがでしたか?
 
小山内  参加者全員が同じ場所に集まるのがよかったです。
 
基本的に全員がアジアとの国際共同製作をしたい方々で、お互いの共通の関心が見えているので、初対面でもとても話しやすかったです。集まっている人数もちょうどよく、同じテーブルに知っている方も知らない方も丁度よく混ざっていて、話題が自然と盛り上がってすごくいい感じでネットワーキングできました。
 
それまであまり知り合う機会がなかった国の方たちや、知り合おうと思っていなかった方たち、例えばイギリスのプロデューサーたちにも会えました。
 
流石にすぐに一緒に作ろうという話になりませんでしたが、今後何かあったら相談できる方たちと出会えた気がします。2週間後にはまた「カンヌ国際映画祭」(以下、カンヌ)で再会します。そういう方たちが世界中にいると、情報交換ができてありがたいですよね。
 
今回の企画だけでなく、いくつか温めているものを相談できるような出会いはいくつかあった気がしています。

 

鈴木徳至さんの場合

 

(FOCUS ASIA「ALL GENRES PROJECT MARKET〈企画マーケット〉」:資金調達段階にある長編映画企画を選出。映画業界のプロフェッショナルとのの個別ミーティングを通し、最適な国際共同製作と資金調達のパートナーを見つけるために支援する。)
 
鈴木  昨年、「釜山国際映画祭」(以下、釜山)「ACFM(Asian Contents & Film Market)」にもVIPO経由で同じ企画で参加して、初めてマーケットでピッチをする経験をしました。いろいろな方と話をしていく中にFOCUS AIA(以下、フォーカスアジア)のアレクサンドロ(「フォーカスアジア」の責任者)もいたんです。釜山では、記憶もないぐらい次から次へといろいろな方に企画の話をしたのですが、彼がそれを覚えていてくれたみたいで、今回選んでもらえた理由の一つになったと聞きました。
 
プロデューサーの水野詠子さんが『PLAN 75』を最初にローンチしたのが「フォーカスアジア」だったことや、「最近のアジアとの国際共同製作はフォーカスアジアから始まる」ということも釜山で知ったことでした。次は「フォーカスアジア」を目指そうと思って準備していたので、本当に選ばれてよかったですし、楽しかったです。
 

「ALL GENRES PROJECT MARKETの様子
「ALL GENRES PROJECT MARKET」(企画マーケット)では、午前中は世界中から集まった約10組が、各国の国際共同製作の事情や、助成金の話や、最近の成功事例やビジネススキームについて毎朝違うパネルディスカッションを聞いていました。午後はラウンドテーブルのような形でテーブルについて、20分で鐘が鳴る中で、どんどん話をしていきました。アポイントは事前に取っておいて、その中でなるべく多くの方と話すという内容でした。
 
いろいろな映画祭に参加してきましたが、雰囲気としては「ニッポンコネクション」のアジア版のようでした。アジアのフィルムメーカーたちが主役で、それに興味があるヨーロッパの方たちが集まってきている環境は他にはないと思いました。
 
カンヌは、いろいろな方たちがいろいろな目的を持って参加しています。そもそも映画についての考えが全然違う方もたくさんいるので、運命の出会いをするのは難しいと思っていました。でもウディネに関してはアジアとの国際共同製作に興味がある方たちだけが集まっているような印象でした。噂に聞いていた通り、ホスピタリティも高く、アットホームでしたし、やりやすかったですし目的にもあっていました。
 
「これはいいぞ!」という感じでしたね。もちろん釜山にもたくさんの方が来ていましたが、より自分たちのやりたいことに特化した映画祭でした。
 
伊藤  目標に対するこう結果は得られましたか?
 
鈴木  すぐに出資が決まることはもちろんありません。ただ、いろいろな助成金を知ることができたので、自分の中の選択肢がとても広がりました。
 
例えば、「アジアとヨーロッパを組み合わせたら、こんなパターンがあるよね」みたいなことです。
 

(c)2022『PLAN 75』製作委員会/
Urban Factory/Fusse
そもそも自分たちの企画をなぜウディネに持ってきたかというと、内容も予算的に国内だけではどうしようもない「史実もの」だったことがあります。おそらく数億円かかってしまう中で、監督としての長編作品のキャリアが1、2本しか無いと、日本の映画界では予算が集まりづらいんです。そんな中、水野さん(『PLAN 75』のプロデューサー)は、早川千絵監督の1本目の作品で1億円規模のプロジェクトをやって、国際的な資金を混ぜることで、映画を作れることを実証してくれたと思います。
 
そのやり方を踏襲したいですし、みんなもそうするべきだと思っています。国内だけだと、国内のマーケットでしか測れないと言いますか、それでしか製作委員会は組成できないのですが、資金の半分を海外で集めれば、海外マーケットも視野に入り、日本の出資サイドの考え方が変わるのではないかと思います。
 
海外に売りたいけど売れないという課題を配給会社も抱えていると思うので、そこの利害が一致する感覚があります。海外からの資金調達を考える中で、どこの助成金を取ってどこを組み合わせるか、考える選択肢が増えました。脚本を送って反応を見ながら考えたので、そろそろ具体的な話をしていく段階ですね。
 
伊藤  ウディネに参加したいと思ったきっかけは『PLAN 75』ですか?
 
鈴木  はい。水野さんから最初の出資パートナーが決まったのはウディネだったと聞いていたので「夢あるじゃん!」と思いました。
 
後藤美波さんの場合

 

(「FAR EAST IN PROGRESS」〈ワーク・イン・プログレス:ポストプロダクション段階〉映画祭でのプレミア上映や国際配給を目指すポストプロダクション段階にある長編映画を選出。選ばれたプロジェクトは、ヨーロッパとアジアとの国際セールスエージェント、映画祭プログラマー、バイヤーの前で最大10分上映する機会を得られる。)
 
伊藤  後藤さんは、去年「VIPO Film Lab」脚本コースに参加されて、今回は「FAR EAST IN PROGRESS」(ワーク・イン・プログレス)ですね。いかがでしたか?
 
後藤  去年参加したときに、現地で複数人から「FAR EAST IN PROGRESS(ワーク・イン・プログレス:ポストプロダクション段階)はとても良いよ」と聞いており、「次回来るときは、ぜひFAR EAST IN PROGRESSに参加したい!」と思っていたので、今回参加させていただけてとても嬉しかったです。
 

「FAR EAST IN PROGRESS」で
後藤さんが説明している様子
伊藤  実際のプログラムは、初日に上映があって、その後はラウンドテーブルだったと思いますが、そちらはどうでしたか?
 
後藤  初日は、各作品、10分間の抜粋上映をしました。その後にカクテルアワーでいろいろな方と自由に話して、翌日にアポイントを取って、プログラマーや配給会社の方とじっくり話すというスケジュールでした。ただ、参加者同士の距離が近い映画祭なので、アポイントが無くても、つかまえて話せば色々なステークホルダーから感想やアドバイスをいただくことができました。
 
私が持って行った作品はまだオフライン編集の途中だったので、編集のフィードバックをもらえたことがありがたかったです。
 
伊藤  外部で作品を見せることはウディネが初めてでしたよね? 全てのフィードバックが新鮮でしたか。
 
後藤  はい。例えば、言葉で伝えないとわからないと思っていた部分について、海外の方から「そこまで言わなくても分かるから」とフィードバックをもらって、「ああ、ここはこんなにキチンと説明しなくても伝わるんだな」と気づいたり。
 
伊藤  今回の目的と、それに対する結果はいかがでしたか?
 
後藤  今回は特に、ギャップファイナンシング(出資の大部分がすでに集まっていて、残りのギャップを埋めるためのファイナンサー等を探すこと)とフェスティバルプログラマーからどのようなリアクションが得られるかというのがゴールでした。ギャップファイナンシングは、同じ「FAR EAST IN PROGRESS」(ワーク・イン・プログレス)に参加していたフィリピンの会社から、「うちも参加できるかもしれない」という話になり、今もメールやオンラインでやり取りをしています。

そこで一歩前に進めたところは期待通りでした。プログラマーの方たちからも、様々なフィードバックをいただきましたが、熱量高く「ぜひ送って」と言ってくれる方もいたのでそこも期待通りだったと思います。あとは字幕をつけて送って気に入っていただけるかどうかです。

なぜ国際共同製作に挑むのか?

小山内照太郎さんの場合

 

伊藤  国際共同製作をやるメリットのひとつとして補助金があると思います。ですが、みなさんの企画は海外でロケがあるなどというわかりやすい国際共同製作の企画ではないと思います。国際共同製作を目指す目的や意義を教えてください。
 
小山内  僕はフランスがベースなので、必然的に国際共同製作になるという事情もあります(笑)。
 
正直のところ、ウディネに行くまではフランス以外の国とやることを、ぼんやりとしか考えてなかったんですよ。でも、こうやって他の国の方の顔が見えてきて、企画に対して面白いこと言ってもらえると「一緒にやりたいな」と思いますね。
 
伊藤  モチベートされた感じですか? 「あ、これいけるな」という感覚はつかめた感じですか?
 
フィルムフェスティバル小山内  そうですね。これまでに僕が参加した作品は日本の田舎を背景にしているものが多くて、たまたま今回もそうなんです。きっとそうだろうとは思っていましたが、日本のローカルで起きていることは、世界中でも起きていることだという確認ができました。
 
ローカルな物語を、どうユニバーサルなものにできるかを掴みたくて人々と話していると、バーバルになる手前のところで伝わっている、と感じることがあったりするんです。
 
伊藤  どういうことでしょうか?
 
小山内  企画の大きな要素をいくつか話しただけで、全体の意図が伝わることがあるんです。
 
鈴木徳至さんの場合

 

鈴木  映画をやりたいと思ったきっかけが映画祭です。カンヌで短編を上映したときの反応や自分の考えたことが世界の人に伝わることや、思いもよらぬ感想が出てくること、違う国の同世代の作家と思わずリンクすることが面白いと思います。なんなら「一緒に作りたい」というのが目標です。
 
プロデューサーを始めてから10年ぐらい経ちましたが、ようやく「やりたい!」と思っていたことが始められるような環境になりました。大変なのは百も承知です。国際共同製作はすぐ止まるしすぐなくなるし、言葉の通じる人たちといつも通りのやり方でやった方がそのコストも低いし確実なのですけれど、まず観客として、そこにあまり興味がないんです。
 
鈴木氏自分が観ている作品が国際共同製作で作られている海外作品が多いので、同じように作りたいと、自然とそちらを目指すようになりました。
 
自分の企画は、1960年代の日本の話です。映画のいいところは、知らない国の知らない歴史が知れたりすることだと思っています。参考にしたいと思った海外の映画も、例えばロシアのある時代の音楽シーンなど映画でしか知り得なかったことです。
 
自分が、その時代の、その国の、そのシーンに興味を持てるのであれば、日本の過去実在した若者たちの青春物語のような作品を作ったときに、思わぬ共感や発見をしてくれる方たちが世界にいるはずだと思います。
 
それと、その内容で、今の日本映画界で製作委員会を組もうと思っても全くビジョンが浮かばないという点ですね。面白いと思っている企画をどのように実現するかを考えたときに、日本だけで製作委員会を組むイメージが全くわかないので、海外で資金を集めてから、国内でも組むしかないと思っています。
 
後藤美波さんの場合

 

後藤  「FAR EAST IN PROGRESS」(ワーク・イン・プログレス:ポストプロダクション段階)に持っていった作品は、フィリピン人キャストが2人くらい出演するので、フィリピンとの国際共同製作に…という流れになりました。ただ、ストーリー自体は日本だけで完結させようと思えばできるものだったんです。でもなぜそのフィリピンの方を出演させようと思ったかというと、「プチョン国際ファンタスティック映画祭」の「NAFF Fantastic Film School」(プロデューサー養成プログラム)に参加したときに、その女優さんと現地で会って、彼女の立ち振る舞いや持っているエネルギーがとても素敵で感化されたんです。
 
「この人と一緒に働いてみたい!」とそのときに思いました。
 
後藤氏その方と働くことを考えたときに、国際共同製作という可能性が出てきて。国際共同製作を視野にいれると、もしかしたらフィリピンからも資金調達を探れるかも、フィリピンでの上映の可能性が高まるとかも、ということを考えました。
 
今脚本を書いている新作も国際共同製作になる予定で、それも「この人たちと働きたい!」という方たちの顔が見えています。自分の脚本やテーマに合う前提ですが、最初のひらめきやエネルギーは国際映画祭やマーケットに出ると生まれてきます。
 

 

 


 

 

小山内照太郎 Terutaro OSANAI
Survivance 映画プロデューサー/翻訳家

  • 1978年、弘前市生まれ。京都大学総合人間学部卒業。2003年に渡仏以後、プログラマー・コーディネーター・翻訳・通訳として、青山真治、黒沢清、北野武、山中貞雄、日活、相米慎二などのフランスでの特集上映に関わる。ナント三大陸映画祭の日本映画コンサルタント(2009年?2016年)を務めながら、井口奈己、富田克也、濱口竜介、深田晃司、真利子哲也、佐藤零郎などの新世代のインディペンデント映画作家をフランスで初めて紹介する。2014年のカンヌ国際映画祭では、それらの映画作家とプロデューサーが参加した国際共同製作ワークショップGateway for Directors Japanを主催。以降、フランス・ヨーロッパとの国際共同製作を前提とした映画製作を開始し、富田克也監督『バンコクナイツ』(2016)、『典座ーTENZOー』(2019)をそれぞれロカルノ映画祭とカンヌ国際映画祭批評家週間で発表。2021年にフランスの映画製作・配給会社Survivance(シュルヴィヴァンス)に参加。最新作『やまぶき』(山﨑樹一郎監督)は、日本映画史上初めてカンヌ国際映画際ACID部門に招待され、4カ国の国際映画祭で受賞。第4回大島渚賞受賞。また、ライフワークとして、フランスの制度をモデルにしながら、日本の地方での映画鑑賞教育の普及を行なっている。字幕翻訳は150作品以上を担当。2020年、フランス最大のドキュメンタリー映画祭Cinema du Reelの長編コンペティション部門に審査員として招待された。
    Survivance公式サイト https://www.survivance.net/ja

鈴木徳至 Tokushi SUZUKI
株式会社コギトワークス 映画プロデューサー

  • 1986年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社ディレクションズにて主にNHKの番組制作を担当。2011年に独立後、初プロデュース作である短編映画『隕石とインポテンツ』がカンヌ国際映画祭・短編コンペティション部門に出品され、次作である中編映画『ほったまるびより』は文化庁メディア芸術祭にて新人賞を受賞。長編作品としては、『枝葉のこと』がロカルノ国際映画祭・新鋭監督部門、『あの日々の話』が東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ部門、『王国(あるいはその家について)』がロッテルダム国際映画祭に正式出品後、BFI(英国映画協会)の2019年日本映画ベストに選出されるなど、国内外の映画祭や批評家から高い評価を受ける作品を数多く手掛けてきた。2019年、株式会社コギトワークスに入社。近年は『街の上で』『うみべの女の子』『ムーンライト・シャドウ』などの話題作でラインプロデューサーを務めるほか、プロデューサーとしても『僕の好きな女の子』『餓鬼が笑う』『逃げきれた夢』(2023年のカンヌ国際映画際ACID部門出品)など、精力的に作品を発表し続けている。
    コギトワークス公式サイト http://cogitoworks.com/crew/10/

後藤美波 Minami GOTO
映画プロデューサー/監督

  • 静岡県出身。東京大学で美術史学を学んだのち、渡米して映画制作を学ぶ。コロンビア大学大学院フィルムスクール修了。日米で数々の短編映画を執筆・監督・プロデュースした経験を持ち、作品はシンガポール国際映画祭やロングビーチ国際映画祭、ショートショートフィルムフェスティバル等、各国の映画祭で上映されている。プチョン国際ファンタスティック映画祭ワークショップ、Rotterdam Lab、京都フィルムメーカーズラボ等にも参加。現在は東京・静岡・京都をベースに活動。


 
 
 
 

 


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