VIPO

インタビュー

2022.08.24


会社はひとつの家族と同じ、みんなで笑顔をつくっていく―― 地方に世界に笑いを届ける吉本興業 大﨑会長の経営術(VIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」経営者講演より再構成)
2025年の日本国際博覧会(大阪・関西万博)にパビリオンを出展する吉本興業は、これまでに「地方創生」「アジア」「デジタル」をキーワードに数々の挑戦を行ってきました。今回は、吉本興業ホールディングスの大﨑 洋会長に、万博の構想から、仕事をする上で大事にしていること、組織のあり方、人材育成についてなど、日頃考えてらっしゃることを幅広くお話いただきました。(※本記事はVIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」講演を一部抜粋・再構成したものです。)
(以下、敬称略)

 

好きなことをやってもらう、それがいちばん力を発揮する

形式知だけでは答えは出せない、現場の勘がもっと大事

社長になって吉本を非上場に

大﨑氏はじめまして。吉本興業の大﨑と言います。もうすぐ69歳で、吉本に入社してから44年になります。ちょっと自分でもびっくりするぐらい長いこと吉本にいてます。
 
吉本は東京と大阪で60年間一部上場していたんですけど、2009年、僕が社長になったときに「なんだかなぁ」と思って、2010年に非上場にしました。吉本は当時、創業100年(1912年創業)くらいで、反社の人とのつながりもなんらかの形であったんです。僕が社長になったときに、まだそういうつながりもあったので、全てゼロにしました。 
 
非上場にした1つ目の理由は、反社の人たちを断ち切るためです。もう1つの理由は、上場にかかる無駄なコストを削減して、中長期事業として、タレントを育てたり、テレビ番組や映画を作ったりをしたかったからです。
 
言えないことは山ほどあるんですけど、大げさに言えば、44年間吉本にいて、唯一やった仕事はそれかな……というぐらい、非上場にすることには命の危険をかけてやりました。
 
社長になったときのキーワードは「地域創生」「アジア」と当時の言葉でいうと「デジタル」。その3つを抱えて10年くらい社長ができたらいいなと10年計画をスタートさせました。「沖縄国際映画祭」や、「あなたの街に住みますプロジェクト(よしもと住みます芸人)」をやって、現在の登録会員数370万人くらいの自社のオウンドメディア『FANY』も作りました。
 

 

万博で世界中の子どもたちをつなげたい

 

ここ2年くらいの僕のテーマは「笑いに願いを」です。
 
ノーベル平和賞をとられたムハマド・ユヌスさんとユヌス・よしもとソーシャルアクション株式会社を創立したり、2025年の大阪・関西万博に吉本館を出そうと思ったりしています。万博に参加することは世界デビューにもなるので、「世界中の子どもたち」「笑い」「つながる」の3つのキーワードで迎えたいと思っています。
 
1970年の大阪万博のときは高校2年生でした。まさか2度目の万博で吉本のパビリオンを出すとか、シニアアドバイザーになるとは思っていなかったので、ひとりしみじみしています。
 
長くしてると思いがけない出会いとか思いがけない結びつきがあったりします。皆さんはまだ若いですが、人とか本との出会いは思いがけない結びつきになったりします。20年後30 年後にどこかでつながっていくと思うので、そのイメージを持っていれば今は失敗してもいいと思います。
 
どこかで見た「笑うことは許すこと、許すことは笑うこと」、あるいは「笑いあうことは許しあうこと、許しあうことは笑いあうこと」という言葉が僕の中でずっと残っています。
 
子どものときに知り合うことは、とても大事なことだと思っています。例えば韓国の女の子とロスに住んでいる男の子がZoomなどで繋がって仲良くしていたら、そのことを大人になったときに思い出せば、戦争や紛争は違う形になるのでないかと思います。
 
2025年の万博の時に世界中の子どもたちが何らかの形で参加して、つながっている体験をしておくことが我々の役目の一つだと考えています。
 


僕たち世代の仕事・大人の役目

 

(河原に)掘っ建て小屋を建てて、河原から街に出て劇場と呼ばれるメディアができて、蓄音機やラジオ、映画が出てきて、インターネット・SNSの時代になり、WEB3でメタバースの時代になりました。僕のイメージでは2億年の人類の歴史の中でもこの20年、30年は産業革命の何倍も衝撃的なことが起きていると感じています。
 
僕はパソコンも全然触れませんが、デジタルネイティブのZ世代の次の世代はメタバースネイティブになります。その世代の子たちが自由にモノを作ったり、自主的にのびのびと発表できる場作りをしていきたいです。吉本興業という会社をプラットフォームとするならば、そういう場づくりは僕たち親父世代がやらなければならない仕事だと思っています。
 
僕は銭湯が大好きなんです。銭湯に行くと爺ちゃんと子どもたちがいっぱいいてますよね。子どもたちって「危ないから走ったらだめ」とか「ちゃんとかけ湯してからお湯に入りなさい」って毎日言われていても、その注意を聞かないで、走って転ばないとわからない部分てあると思うんです。
 
若い社員を見ていても「走ったらいかん」と言っても走るわけですし、そこは大人と大人ですから何も言わずに見ていますが、仕事上でコケるとそのままうずくまってひきこもってしまうこともあると思うので、そういう時は「コケたっていい」と、膝についた砂を払ってあげています。余計なことはしない方がいいとは思いますが、そこは大人の役目かなと思っています。
 
教科書には載ってない、勉強では覚えられない暗黙知

 

大﨑氏生まれてから今までの69年間の中で、44年間のサラリーマン人生の中で、おばあちゃんが言ったことや親父が言ったこと、先輩が言ったことが生活の中で仕事の中で暗黙知という形で残っています。
 
それは教科書には載ってない、勉強では覚えられないことです。
 
料理人が本当の隠し味のことは言わないのと一緒で、講演を聞くだけでは本当のことは分かりません。個人的にも歴史的にもいろいろな業界での暗黙知があって、弟子が師匠の芸を見て学ぶようなことが一番大事なことです。
 
世界的経営学者の野中郁次郎先生とお会いした後に「大﨑さんは動の人だ。動きながら感じ、考えながら暗黙知を磨き、漫才のように発想する。その暗黙知を人と共有し共感を得て、コンセプト、すなわち形式知にし、事業にまとめ上げていく」と書いていただきました。
 
暗黙知とは、経験や直観に基づく知識で言語化しにくいものです。形式知とは図式とか計算式とか文書とか言葉で伝えられる客観的な知識のことです。
 
要は答えのない答え、あるいは暗黙知の共有。
 
世界の外部環境が変わってきても、やっぱり紛争戦争はなくならず、宗教は何かを解決したんだろうか? 経済は何かを解決したんだろうか? と考えてしまいます。もちろんマーケティングは大事だけれど、それだけでは答えは出ない、形式知だけでは答えは見いだせない中で、現場の勘のようなことがもっともっと大事になるんじゃないか? と野中郁次郎先生はおっしゃっていたのではないかと勝手に理解しています。
 
自分自身が問題を設定して答えも作る

 

3年前にアーティストのMASARU OZAKIさんの『雨』という作品を一目惚れして買ったんです。そのOZAKIさんと一緒に万博の吉本館をやろうと思っています。
 
万博は180日間あるので、吉本のロゴマークをデジタル化したものを、今日は上海の南京路の交差点、明日はパリのエッフェル塔、明後日はアフリカのコンゴのなんとか川のほとりに浮かべる。噂にもなるしプロモーションにもなるし、笑顔を持っていけると、言いたい放題話したところ、OZAKIさんは
 
「大﨑さん、とりあえず手を動かしながら考えます」と。
 
それを聞いて野中郁次郎先生が「パソコンで文字を打ったり数字を入れたりするのは単なる記号のやりとりで、まずは手を動かして考えるべき」とおっしゃったことと、通じたんですよね。
 
僕が社長になったとき、吉本のロゴを作ってくれたグラフィックデザイナーの佐藤 卓さんに「こういうロゴのデザインはどうやって考えるんですか?」と聞いたときも「ずーっと手を動かしながら考えるんです」とおっしゃっていました。
 
野中郁次郎先生も、佐藤卓さんもMASARU OZAKIさんも「手を動かしながら考える」と言っていましたし、マーケティングとして考えても、外部環境が変わるとマーケティングが成立しないこともあるので「本当の答えがないものは、自分自身が問題を設定して答えも作らなければならない」と思いました。
 
『公民連携の教科書』を手がけている清水義次さんは、「大﨑さん、主要5教科の勉強の時間は全体の2割で、全てオンラインで済むと思うんです。残りの8割は技能4教科、音楽、保険体育、技術・家庭、美術を自然の中で体験しながら学ぶのが、これからの子どもたちや若者が強く生きる方法ですとおっしゃったんです。僕も確かにその通りだと思います。
 


答えのない問題に直面する経験

 

今の子は叱られて成長することを知らないと思います。それが本当にいいかどうかは、清水義次さんの「技能4教科は自然の中で体験しながら学ぶ」とつながっているような気がしています。もちろん怒り方やタイミングにもいろいろありますが、叱ることが良い悪いではなく、世の中ってそういうこといっぱいあるじゃないですか?
 
たとえ話ですが、プールでは基礎を勉強してるんです。クロールや平泳ぎの息継ぎとかを教えてもらって、卒業するときに渚に立って、いざ海に入ってみるとプールとは全然違って急に塩辛い。急に大きな波が来る。急に足がつかなくなる。潮の流れがあって、流されてしまった。雨が降ってくる。全然ちがう。クロールが好きだからクロールの職場にと思っていたのに、溺れているのか、揉まれているのか……。世の中に出るとはそういうことだし、仕事をするとはそういうこと。
 
大﨑氏叱られて成長することを知らないことは、きっとその子どもたちや若者たちにとって、ひいては大人たちにとってマイナスになるところがあるのではないかなと最近思っています。
 
それは銭湯を走る子供と同じで、答えのない問題に直面する経験が少ないのはすごく不利なので、そういう経験をいっぱいした方がいいと経験者としては説いてあげないといけない。仮に角で頭を打ったら、助けるのはリーダー、先輩としての役目だと思います。
 
Z世代の人たちは他者を理解・許容できるいわゆる多様性に長けていて、チーム作りや共に学びあうことがすごく得意な新しい人種です。会社としてそこを見習いながらそれぞれの人生の大目標と戦略を作って、連続で失敗したときも「こっち向いてれば大丈夫やで」と言ってあげられるようにしていきたいです。
 
「自分ごととして考えられない」という質問がありましたね。
 
「自分ごと」としてどう捉えていいか分からないときは、医者からあなたのお父さんお母さんはガンだと余命宣告をされたときに「あなたはどう伝えるか?」と考えてみてください。
 
自分ごととはそういうことです。
自分が何に価値を見出しているのか、家族のガン・余命宣告をどのように伝えるかを考えることが「自分ごと」です。
 
それは上司や部下や同僚やお客さんやマーケットに対しての「答えのないそれぞれの答え」「自分ごと」という考え方につながると思っています。
 
ほったらかしのマネジメント

 

大﨑氏NSC(吉本総合芸能学院)の一期生にダウンタウン、そのあとは今田君とか東野君とかキム兄とか板尾君とかとみんなで一緒にやってきたんですけど、僕はお笑いを見つける才能があるわけじゃないし、教育のノウハウや経験があるわけでもないので、”ほったらかし”なんですよね。
 
彼らが「こんなことやりたい」「こんなことは嫌だ」「こうしたい」と愚痴を言ったり夢を語ったりする折に、「そうしよう」とずっと言っています。才能のある人、あるいはやる気のある人が自由にのびのびと自主的に発表できる場をどう作るか。どのくらいのキャパの劇場でお客さんとの目線はどの位置にするかという場も含めたハード面とソフト面を考えて作っています。
 
ある本に書いてあったんですけど、ビニールハウスの温室で栄養剤をもらって虫が付かないように育てられた野菜よりも、種が飛んで自分で芽を出して水を吸って葉を生やして、太陽に葉を向けて光合成をして虫がきても我慢をして育っている野菜のほうがおいしいと。僕もそうだなぁと思って。
 
確かに”ほったらかし”と言えば”ほったらかし”なんですけど、そのほうが強くなると思うし、さかのぼれば明石家さんまも紳助竜介も出てきたんだから、どちらがいい悪いではないですけど、やっぱりそうなんだなぁと思っています。
 


大﨑さんに聞く!(質問コーナー)

会社経営で一番大事なこと
市井氏VIPO専務理事・事務局長 市井三衛(以下、市井)  それではここからは、本日の講演の参加者から事前に集めた質問に回答していただきましょう。
 
会社を経営するにあたって一番大切にしていることは何でしょうか?
 
大﨑  月並みですけど”愛”ですね。相手の立場に立つ、慈しみのような愛です。
 
市井  では、信頼関係を構築していく中で大﨑さんが大事にしていることはありますか?
 
大﨑  「逃げない」。トラブルや困難はいっぱいありましたけど、逃げないことを大切にしています。あとはそばにいてる、ただただ寄り添うことです。やってきたことはその2つくらいですかね。
 
市井  働く際に意識していたことを教えていただけますか?
 
大﨑  「いつでも辞めたるわい!」と思っていたことです。
 
いつも窓際で、少しうまくいったら飛ばされての繰り返しでした。窓際が長かったので「いつかいなくなるんだろうな」「いつでも辞められる」とずっと思っていました。でも「つぶしきけへんな」とも思っていました。農業すると言っても大変だし、「他に何もできへんわ」と思ってとりあえず我慢していたんです。
 
市井  いつでも辞めてやると言う気持ちと、まあいいか、まあとりあえずやってみようということの積み重ねということですね。
 
やって失敗する後悔のほうがいい

 

市井  大﨑会長が新規事業に進出する時に、決断の決め手となるものはありますか。
 
大﨑  総合力というか”勘”でしかないです。あとは「やらないで後悔するよりもやって失敗する後悔のほうがいい」と思っています。
 
BSよしもと」の事業に関しても「なんで今さら放送事業を?」と100人中100人に言われました。社長の岡本君にも「やらへんで後悔するよりも、とりあえずやって失敗したほうがいいもんなあ」と伝えたんです。それだけのことです。
 
BSの事業ではお世話になっている放送局さんに迷惑をかけたり足を引っ張ったりしたくなかったのと、大前提で「勝てっこない」と思ったのでコマーシャルなしでやることにしました。
 
11年間ほどの「よしもと住みます芸人」の企画で、100人以上が地方で働いて小さな事業の目のようなものを作ってきました。それを事業化したり会社化したり、そのうちの1つでも2つでもIPOできるように目指しています。
 


自分が行動で示して分かってもらう

 

市井  吉本興業はアイドルグループや「住みます芸人」など、常に新しいチャレンジをしているイメージがありますが、新規チャレンジに尻込みする組織の場合、どうやって組織やメンバーを納得させればいいでしょうか?
 
大﨑  言葉を尽くして100回くらい言わないと通じないし、自分が行動で示すしか分かってもらえないことが基本やと思います。
 
「住みます芸人」は47都道府県に芸人を住まわせたら面白いんじゃないかという話をして「面白いですね。やりましょう」と1億円かけました。「住みます芸人」の企画は、担当になるとサラリーマン的には地方に飛ばされたと思われると思ったので、僕と岡本君の間の世代をそれぞれ専務に抜擢して、「吉本は、これからは地方に新しい笑いとビジネスチャンスがあると思っている」と伝え、「専務を飛ばしたんじゃない。これから10年で吉本は変わる」と会見まで開きました。
 
市井  やる気を出すための準備を非常に気をつけてやられていたんですね。
 
大﨑  いろいろな都道府県行った芸人たちは個人事業主なので、スコップ担いで井戸を掘るような1%の確率にもかける想いとか気の強さがあります。成長曲線が違うんですよね。
 
ある芸人は住んだ次の日からシャッター通り商店街のお店を1件1件訪ねて「僕、吉本から来たんです。昨日から住んでいます」と、地元の信頼関係をすぐに作ったり、ある子はお寺の本堂に住ませてもらって田植えから収穫までしてブランド米作ったり。そういう例を少しずつ事業化していってBSの中でやろうと思っています。
 
市井  海外の場合はスタッフさんも行ってケアするんですか?
 
大﨑  はい。
 
市井  スタッフの方たちも成長していますか?
 
大﨑  みんな楽しそうにやっています。吉本のことや日本が好きな子が企画会議などで集まっているのを見ると、面白くて。的外れなことをしていたとしても、それもまた面白いですね。
 
そういう子たちがアジア、地方、全国隅々にいてることを、東京・大阪で働いている社員や芸人たちの頭の隅にはあると思いますし、組織としての全体のバランス感覚というか、東京だけで勝った負けたの仕事をしているのではなく、違う発想、違う物差し、違う競争や提案の仕方ができていくと思うんです。
 
やりたいと思えることや好きなことをやってもらうことが、それぞれがいちばん力を発揮しますからね。芸人も社員もみんな好きなようにやったらいいと思っています。
 

 

一度潰して一から作り直す

 

市井  リスクを想定してマネージされているのですか?
 
大﨑  組織は銀行や裁判所ではないので、きっちり作れば良くなるということでもないですよね。アメーバ的にしておかないといけないと思うので「完成してしまうなぁ」と思ったときには、一度潰してもう1回一から作り直します。潰してみるとどこか気付けることがあるんです。
 
モノを作ったり、モノを売り出したりするのは、競争をするのではなくチームで作っていくことが合っていると思います。(心斎橋筋)2丁目劇場を作ったときも、いったんゼロにしてからみんなで一緒に考えました。「できたら壊してみる」という考え方は会社も同じだと感じています。
 
骨組みだけ作って「ほら、体を作れ」と言うのではなく、その手前から考えさせれば「背骨があるからバランスがブレない」ということも考えるようになります
 
「伝統を守る」のか「伝統を壊す」のか……もしくは「壊しても本質は残す」のか、そういうことをチーム、もしくは社員の一人ひとりが役職も関係なく考えられるような組織にしたかったので、ずっとそのようなことを繰り返してきました。
 
森を見て木も見るイメージです。森も見たら木も見なければいけないし、林を見たら枝を見なければいけないし、木を見たら葉の裏も見ないといけません。その訓練を激しく繰り返すことを社員たちにも芸人たちにもやってもうらいたいです。
 
韓国エンタメはなぜ成功したのか?

 

市井  最近の韓国エンタメ・コンテンツ業界の成功について、どのように思われていますでしょうか?
 
大﨑氏大﨑  日本は、国がポップカルチャーやエンタメの影響力、値打ち、価値を甘く見ていると思います。日本は国内のマーケットだけでずっとやってきていて、それだけで十分食べていけたし上場もできましたが、これからはそうはいきません。ただ分かってはいても「そうは言っても」と、放送局もチャレンジしないんですよね。
 
アジアや韓国から学ぶことはたくさんあります。世界のマーケットで戦うことを決意した韓国は日本のマーケットも意識してマーケティングしていますよね。日本は周回遅れどころではないと思います。
 
時代の空気を吸っていないと生き残れない

 

市井  お笑い業界ならではの難しさを教えていただけますか? 今は話す内容についていろいろと難しくなっていると思うのですが、それはどう感じていますか?
 
大﨑  お笑いに限らず、音楽でも小説でも時代の空気を吸っていないと生き残れないのは当たり前のことです。それは組織でも同じだと思います。
 
ただ、寛容さが足りないと思うんですよね。ニュアンスの問題ですし抽象的で主観的なことかもしれませんが、どこかで違う物差しができればいいなと思いますけどね。
 
市井  芸人さんに対して話し方のトレーニングなどはしているのですか?
 
大﨑  基本のコンプライアンスについては伝えています。警察庁と警察のOBが監修したコンプライアンスの冊子があるので、それで全タレントに研修しています。それを毎年繰り返しています。
 
今の常識を理解した上で、それぞれが判断するのが大前提ですが「今だとこれはNGワード」「炎上した内容と結果どうなったか」は個別、全社員、全芸人に伝わるようなシステムにしてあります。24時間体制で緊急の連絡網があるので、何かあればすぐに相談できるような体制もあります。
 
それらがあって、基本この幅でそれぞれが判断しなさいと伝えています。
 
市井  気にしすぎて、しゃべりがちょっと窮屈になっていると感じることはありますか?
 
大﨑  それはめちゃめちゃ思いますね。
 
表現の自由の裁量の幅をどうとるかはそれぞれに任せていますし、ケースバイケースで担当マネージャーが判断しています。
 

 

会社はひとつの家族と同じ

 

市井  現在の吉本興業、とくにマネジメントなど直接部門の社員評価システムは、どのようなものになっているのでしょうか? 
 
大﨑  どうしているんですかね? 縦横斜めの評価があります。数字の評価も数字じゃない評価も、SDGsをプラスしたものもあります。
 
市井  多面的なんですね?
 
大﨑  完璧な評価はないので、全体から個人の成長度などを判断して、それぞれのチームリーダーや上司がいろいろな角度から見た評価で考えています。
 
市井  売れている芸人さんにたくさんのギャラを支払うのと、新人まで全員が食べていけるようにすることは、両立しづらいように思います。どちらの方が大事だと思われますか? それとも、あくまでも両立することを目指すのでしょうか?
 
大﨑  売れてる芸人たちにもギャラは全部明確にしてあります。テレビや劇場に出られなくなった年配の芸人も多いですし、テレビに全く出られない若い子もたくさんいるので彼ら彼女たちをどうするかということが優先順位としては高いです。どちらも頑張っていますし、ほぼ認知症でもマネージャーがついて劇場に立っている芸人もいます。それは本人の励みになりますし、それを見ている若い社員、総務の女性もみんな協力してるんで、そういう会社でありたいなと思っています。
 
会社はひとつの家族と同じなので「そういう人はいらない」と言うわけにはいきません。家族の中で面倒を見て、みんなで明るく元気にやっていることと同じだと思っています。
 
非生産的な人がいてるかもしれないですが、そういう人や「住みます芸人」で地方や村に住んでる子も含めてみんなでまとめて笑顔を作っていくんです。現実の世の中や社会もそうなので、吉本という会社もそうあるべきだと思います。
 

大﨑 洋 Hiroshi OSAKI
吉本興業ホールディングス代表取締役会長

  • 生年月日:1953年7月28日
    出身地:大阪府堺市
     
    <学歴>

    1978年 3月 関西大学社会学部卒業

     
    <職歴>

    1978年 4月 3日 吉本興業株式会社入社
    1978年 5月11日 大阪本社 制作部勤務
    1980年10月20日 東京事務所(開設時)勤務
    1982年 7月 1日 大阪本社 TVR部営業2課勤務
    1986年 8月 1日 大阪本社 制作部テレビラジオ課 兼 心斎橋筋2丁目劇場勤務
    1993年 4月 1日 制作部 ソフト開発室長
    1994年 4月 1日 大阪本社 タレントマネジメント部 チーフプロデューサー
    1997年 4月 1日 東京支社 チーフプロデューサー
    1998年 5月11日 東京制作本部 統括プロデューサー
    1999年 4月 1日 東京支社 統括ルー厶 統括プロデューサー
    2001年 6月27日 取締役 東京制作営業統括部長
    2005年 6月28日 専務取締役
    2006年 6月28日 取締役副社長
    2007年 6月26日 代表取締役副社長
    2009年 4月 1日 代表取締役社長
    2018年 4月11日 共同代表取締役CEO
    2018年 6月21日 共同代表取締役社長CEO
    2019年 4月 1日 代表取締役会長
    2019年 6月21日 吉本興業ホールディングス株式会社 代表取締役会長(現任)
    2020年 9月10日 株式会社よしもと統合ファンド 代表取締役社長(就任・現任)
    2020年 9月23日 一般社団法人パニパニエンタテインメント 理事(就任・現任)

     
    <主な著書・関係書籍>

    2013年 4月 「笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大﨑洋物語」(幻冬舎)著:常松裕明
    2017年 9月 「よしもと血風録 吉本興業社長・大﨑洋物語」(新潮社)著:常松裕明
    2020年 8月 「吉本興業の約束 エンタメの未来戦略」(文藝春秋)著:大﨑洋・坪田信貴

     
    <その他>

    2009年 3月 沖縄国際映画祭実行委員会 実行委員長』就任(現任)
    2010年 2月 内閣府 知的財産戦略本部『検証・評価・企画委員(コンテンツ分野)』就任
    ※就任当時名称:『コンテンツ強化専門調査会委員』
    2010年11月 観光庁『観光庁アドバイザー』就任(現任)
    2011年 3月 沖縄県『美ら島沖縄大使』就任(現任)
    2012年 6月 ヒーローズエデュテイメント株式会社 取締役(非常勤)就任(現任)
    2014年10月 『京都国映画祭実行委員会 委員』就任(現任)
    2016年 1月 協同組合 日本映像事業協会 理事 就任(現任)
    2016年12月 経済産業省『2025年国際博覧会検討会委員』就任(現任)
    2018年 2月 内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部事務局「わくわく地方生活実現会議」委員 就任(現任)
    2019年 6月 内閣府『基地跡地の未来に関する懇談会 委員』就任(現任)
    2019年 9月 内閣府『知的財産戦略本部 構想委員会 委員』就任
    2019年12月 公益社団法人2025年日本国際博覧会協会 シニアアドバイザー 就任
    2020年 4月 情報経営イノベーション専門職大学 超客員教授を委嘱
    2020年 7月 内閣府『知的財産戦略本部 構想委員会 コンテンツ小委員会 委員』就任
    2021年 9月 『烏取大学医学部付属病院運営諮問会議 委員』就任
    2022年 4月 近畿大学 客員教授を委嘱

     

    <主な職務経歴>
    1978年4月 吉本興業株式会社入社。数々のタレントのマネージャーを担当。1980年 東京事務所開設時に東京勤務となる。1986年 プロデューサーとして「心斎棟筋2丁目劇場」を立ち上げ、この劇場から多くの人気タレントを輩出。1997年 チーフプロデューサーとして東京支社へ。その後、音楽・出版事業、スポーツマネジメント事業、デジタルコンテンツ事業、映画事業など、数々の新規事業を立ち上げる。 2001年に取締役、その後、専務取締役、取締役副社長を経て、2007年 代表取締役副社長、2009年 代表取締役社長、2018年 共同代表 取締役CEO、2019年 代表取締役会長に就任。
    2009年3月「沖縄国際映画祭実行委員会」実行委員長に就任。2014年10月「京都国際映画祭実行委員会」委員に就任。2018年2月内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局「わくわく地方生活実現会議」委員に就任。2019年12月「公益社団法人2025年日本国際博覧会協 会Jシニアアドバイザーに就任。2020年4月「情報経営イノベーション専門職大学(iU)J超客員教授を委嘱。2021年2月「鳥取大学医学部付属病院運営諮問会議」委員に就任。2022年4月「近畿大学」客員教授を委嘱。

 
 


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