VIPO

インタビュー

2021.11.01


2021年秋公開『梅切らぬバカ』の和島香太郎監督が「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」を通して学んだこと、得たもの
54年ぶりの主演となった加賀まりこさんと人気芸人・塚地武雅さんが親子役で共演する映画『梅切らぬバカ』。監督・脚本を務めた和島香太郎監督は、2008年に「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」*に参加し短編映画を製作。その後、2019年に実施されたndjc「90分程度の映画脚本開発」**に『梅切らぬバカ』で応募し研修生に選ばれました。2020年、ndjc「長編映画の実地研修」***にて『梅切らぬバカ』は完成、今年11月12日からの公開となりました。
今回のインタビューでは、ndjc2008で味わった苦い経験や『梅切らぬバカ』の制作秘話などを語っていただきました。(取材日:2021年9月7日)

 

*「ndjc(New Directions in Japanese Cinema):若手映画作家育成プロジェクト」
2006年度にスタートした、次代を担う若手映画作家の発掘と育成を目指す文化庁の人材育成事業(初年度よりVIPOが受託)。若手映画作家を対象として、ワークショップや製作実地研修をとおして作家性を磨くために必要な知識や本格的な映像製作技術を継承することに加え、上映活動等の作品発表の場を設けることで、今後の活動の助力となるよう支援している。製作実地研修では短編映画(約30分)を製作。脚本開発、撮影、編集等のすべての過程にプロの監督・脚本家やスタッフが携わる。
**「90分程度の映画脚本開発」
ndjc参加者を対象に脚本を募集し一次選考通過者5名による企画プレゼンテーションを開催、その中から最終選考者1名を選出の上、映像化に向けた脚本開発を実施するプロジェクト。2018年度~2020年度実施。
***「長編映画の実地研修」
「90分程度の映画脚本開発」により完成した脚本をもとに長編映画の製作(撮影・編集等)を行い、当該監督のさらなる育成を目指すプロジェクト。

 

『梅切らぬバカ』予告編

©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト

 

内なるテーマを見つけて深める

和島香太郎の歩み
 
映像事業部 チーフプロデューサー 本間英行(以下、本間)  2019年度のndjc「90分程度の映画脚本開発」で選ばれた『梅切らぬバカ』がとうとう公開されますね。
 
和島香太郎監督(以下、和島)  はい。パイロット版をプレゼンテーションしたのが、2019年 10月7日ですから、約2年たちました。とても感慨深いです。
 
本間  ここまで来るのにいろいろあったと思いますが、まずは、これまでの道のりからお話していただきましょうか。和島監督は、いつ頃から監督を志したのですか?
 
和島  中学2年生の時に映画監督になることを決めて、高校1年生から自主映画を作り始めました。
 
本間  中学2年は早いほうですね。監督になりたいと思ったきっかけの映画などはありますか?
 
和島  岩井俊二監督の『Love Letter』(1995)です。加賀まりこさんも出演しています。70回以上は繰り返し鑑賞しました。学生時代はその作風を模倣していましたが、自分にはあまり向いていないと気付いて今のスタイルに至ります……。
 
本間  大学は普通科ではなく映画専門の大学でしたね?
 
和島  京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の映像芸術コースに入学しました。当時は劇映画、ドキュメンタリー、実験映像、アニメなどが学べる環境でした。ただ、学校に馴染めず授業はサボってばかりいました。
 
その時に、講師でドキュメンタリー映画作家の佐藤真*さんが気にかけてくれたんです。優しい人だなと思って色々相談するようになったのですが、映画を観るときは鬼の形相をしていました……。
*佐藤真:1957年~2007年。ドキュメンタリー映画監督
 
本間  佐藤さんの影響を受けてドキュメンタリーの思考が芽生えたという感じでしょうか?
 
和島  いえ。劇映画を作り続けました。佐藤さんは劇映画とドキュメンタリー映画に線を引かない方なんです。映画は映画。生徒は作家。そんな風に接していただいたので信頼していました。その鋭い批評を怖れてもいました。けれど、私が撮った荒削りの卒業制作を観て、呆れた顔をしながらも、「自分の現実を、自分のタッチで描いてるね」と評価してくださったんです。それは大切な教えとなりました。
 
本間  大学卒業後はどうしたんですか?
 
和島  大学卒業後はすぐに上京しましたが、しばらくはニートでした。その後はメイキング映像の仕事をしながら短編の自主映画を作っていました。
 
2007年の9月に佐藤さんの訃報が届きました。
 
当時は、早く映画を生業にしたくて焦っていた時期でもありました。自分にとっての切実なテーマが見つからないことは気がかりでした。
 
それからしばらくして、たまたまドキュメンタリー映画の編集の仕事がきました。発達障害を抱える者同士の交流を題材にした作品で、持病に悩んでいた自分の現実ともリンクしていました。「自分の現実を、自分のタッチで描く」。佐藤さんの教えを掘り下げてみたいと思い、ドキュメンタリーに関わりました。この現場での経験は、『梅切らぬバカ』の着想のきっかけにもなりました。
 

ndjc2008で短編映画『第三の肌』を製作して
 
本間  ndjcに参加したきっかけは?
 
和島  大学卒業後、BS-TBSでメイキング映像の仕事をさせていただいたときに、プロデューサーの方から教えていただいたんです。「ndjcというプロジェクトがあるけど、興味があるならデジコン6から推薦するよ」と。
 
本間  卒業してから何年後ですか?
 
和島  2年後の2008年です。13年前のことですね。
 
本間  ndjcの3年目ですね。早い段階でしたね。それで『第三の肌』を製作したんですね。30分の脚本でしたが、書くことに抵抗はなかったですか?
 
 


©VIPO 2008
『第三の肌』
「贈物をするとは触れることであり、官能であるのだ。あなたはわたしが触れたものに触れるだろう。第三の肌がわたしたち二人を結びつけるのである」(「恋愛のディスクール・断章」ロラン・バルト、三好郁朗訳、みすず書房刊)。ホームレス・ピアニストの青年は、ある夜の悲惨な襲撃で自分のピアノを燃やされる。失意の青年に手を差し伸べる千香は、自分のピアノを青年に贈る。千香の住む廃トンネルに案内され、そこで長い間眠り続けてきたピアノに出会った青年は、指を自由に動かせない千香のために一緒に弾ける連弾曲を作曲し始める。
ndjc過去作品69本をNetflixで配信中](2024年8月24日まで配信予定)

 
和島  自主映画の脚本は書いていましたが、どれも5分程度の短編や1時間以上の長編でした。30分という尺は初めてでした。長いような短いような、難しいボリュームだと感じていたことは覚えています。当時のndjcでは商業性を強く求められませんでしたが、指導してくださる方は商業映画に携わっていたので、その顔色は伺っていました。
 
本間  2008年だとスーパーバイザーが佐々木史朗(映画プロデューサー)さんで、脚本指導は斎藤久志(映画監督・脚本家)さんですね。
 
和島  はい。企画を提出した時点では「とりあえず何か撮りたい」という想いだけで臨みました。つまり、明確に「これが撮りたい」というものはなかったんです。プロットは出していましたが、選出されてから白紙に戻して練り直しました。
 
本間  シュールな作品でしたよね。
 
和島  そうですね。路上生活者である老婆と青年のピアノを介した交流を思いついたのですが、脚本指導では「この2人がなぜこの人生を選んだのか? なぜそうせざるを得なかったのか? 人物の背景と心の闇まできちんと書くように。」と言われました。
 
撮影の前日も斎藤さんから「和島! なんとか青年の心の闇を表現するんだ」と熱いメールをいただいたのですが、手応えはありませんでした。自分の着想をうまく広げる作業ができないまま現場に入りました。
 
本間  実際にプロの制作現場に入って印象に残っていることなどありますか? 
 
和島  プロのスタッフの方たちから監督と呼ばれることに恐縮していました。皆さん、きちんとシナリオを読み込み、合点がいかないことを鋭く突っ込んでくる。そこで初めて自分の準備不足に気づかされてオロオロしたり……。フィルムで撮ることは初めてだったので、見たことのない撮影機材には少しだけ感動しました。でも、映画の撮り方について、自分なりの考えを持っていませんでした。説明的な寄りの画が多くなりがちなんです。それでいて内容がわかりづらいという意見もありました。
 
撮影が終わってから、照明の三重野聖一郎さんに「大きなスクリーンで上映するなら、もう少し観客の気持ちで画を考えたほうがいいんじゃないかな?」と言われました。
 
本間  老婆役のりりィ*さんのキャスティングは誰が?
*りりィ:1952年~2016年。元シンガーソングライター、俳優
 
和島  りりィさんは私の希望です。青年役はndjcワークショップ作品にも出演していただいた唐橋充さんで、少年役は自主映画から何度も組んでいた川村悠椰君。唐橋さんと川村君とはコミュニケーションが取りやすかったのですが、りりィさんは孤高の存在なのでどう話しかけたらいいか分かりませんでした。上映会にもいらっしゃらなかったし、その後もお会いしていないんです。りりィさんは作品をご覧になったのかな……。
 

失敗と反省
 
本間  『第三の肌』の評判はいかがでしたか?
 
和島  「観ましたよ…」以上のことは言われなかったです。ネットでは「プロットを起こした薄っぺらい映画」という感想も目にしました。薄々勘づいてはいたのですが、大きな予算で壮大な失敗をしてしまった責任の重さがじわじわと沁みていました。同じ過ちを繰り返したくないという思いが増し、次作につながった部分はあると思います。
 
自主映画の感覚が抜けていませんでした。それまでは一人で撮影や編集をしていたので、全て自分の思いのままにやりたかったのですよね。プロのスタッフの方がいらっしゃったのに……。
 
編集を担当してくださった掛須秀一さんにも、後ろから細かく指示を出していました。そうしたら掛須さんが振り返って
 
「今、僕は怒っている。君は僕の意見を受け止めてもくれないじゃないか。私にも考えがあるのだから」とおっしゃったのです。
 
その場がシーンとしました。スタッフの方への敬意が欠けていたんです。大学を出て間もない世間知らずが運良くチャンスをもらっただけなのに、調子に乗って独走していたんです。
 
本間  他にアドバイスをくれた方はいましたか?
 
和島  脚本開発では、斎藤久志さん、佐々木史朗さん、松田広子さんが、それぞれ真っ当なことをおっしゃるので、誰の言ったことが正しいのか……、混乱した状態で現場に入ってしまいました。単に自分の意志が弱かったのだと思います。
 
本間  実地研修を通しての失敗や反省はありましたか?
 
和島  上映会後に行われた関係者の講評会で、アテネ・フランセ文化センターの松本正道さんに「和島さんはやりたいことをやれたよね」と言っていただいたのですが、自分ではそうは思いませんでした。自分の本質とは異なる部分を作家性と誤解されている違和感があった。「やりたいことなんて見つからなかった……」というのが本音でしたが、とても口にはできませんでした。
 
本間  それが個性でもありますよね。
 
和島  それが個性なのかな……。人と違うことをして目立ちたいという浅はかな気持ちはありました。最初はサイレント映画をやりたいと言っていたのですが、斎藤さんに「多くの人の目に触れるチャンスなんだから、オーソドックスな映画を作れることを証明したほうがいい」と言われて、あっさり取り下げたんです。
 
「自分の内なるテーマを見つけて深めていったのか?」と言われると「そうじゃなかったな……」という思いはずっと心にありますね。
 
本間  『第三の肌』という作品がきっかけで何かにつながりましたか?
 
和島  無かったです。ただ、自信を喪失したままでは良くないと思い、次に黒田三郎*の詩集をベースに、『小さなユリと 第一章・夕方の三十分』(2011)という短編映画を作りました。
*黒田三郎:1919年~1980年。詩人
 
妻が入院している間、黒田三郎さんと娘のユリが2人で過ごした日常を描いたのが『小さなユリと』という詩集です。私も子どものときに母親がずっと入院していて、父親と暮らしていた時期があります。作品世界を自分の人生に少し引き寄せることで、実感を伴った演出ができればと考えていました。
 
その作品を「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」で上映していただき、それを見たプロデューサーから「長編をやらないか」と声をかけていただいて『禁忌』(2014)を撮ることになりました。でもそこでまた奇抜なことをやろうとして失敗しました。
 
本間  『禁忌』を撮るまで何年くらいありましたか?
 
和島  『小さなユリと』の3年後です。でも、『禁忌』を撮って再び自信を失いました。こういうのを繰り返してますね。
 

 

当事者性を作品と結びつける

ndjc「90分程度の映画脚本開発」プロジェクトへの応募
 
本間  ndjc2019「90分程度の映画脚本開発」に応募するきっかけは?
 
和島  ndjc事務局のアンケートに「ndjcで長編も撮らせるべきだ」と書いたんです。ですから、自分が応募しないと無責任だと思って、脚本は第1回目の2018年から送っていました。
 
2019年の春にそれまで関わっていたドキュメンタリー映画『だってしょうがないじゃない』の編集がほぼ完成しました。その映画では広汎性発達障害と診断された男性の一人暮らしと、彼を支える親族や福祉サービスの方たちとの交流を描いています。しかし、近隣住民との関係が良くなかったので、そこにカメラを向けることができませんでした。障害を持つ方が地域の中で孤立している問題に触れられなかったことが心残りでした。
 
近隣の方には仮編集のものを見ていただきましたが、障害のある方を肯定的に描いたことへの拒絶反応を示されたんです。自分たち隣人は大変な思いをしているのにと……。
 
その不寛容な態度が最初は嫌でしたが、隣人の視点を取り入れないと障害がある方の暮らしの全貌を捉えられないと思ったのです。ただ、この問題をドキュメンタリーで表現することは難しいと感じたので、劇映画を選びました。その時にこのプロジェクトの公募を目にして、急いで『梅切らぬバカ』のシナリオを書きました。
 
その初稿はつたないものでしたが、テーマの部分ですくい取ってくれたのかもしれません。
 
本間  パイロット版はどうでしたか?
 
和島  本編のダイジェストではなく、主人公の孤立が垣間見える一場面を描きました。作品のタッチを理解してもらいたかったからです。
 

寝ている人を起こすつもりで挑んだプレゼンテーション
 
本間  プレゼン大会はどうでしたか?
 
和島  プレゼンは、坪田義史(映画監督、脚本家)さんにアドバイスをいただきました。文化庁の助成金申請などのプレゼンに長けた方で、自分の当事者性を作品に結びつけることの意義を教えていただきました。あとは当事者性のこじつけにならないことに注意して臨みました。
 
本間  当事者性を作品と結びつけるのは簡単なことではないと思いますが、和島監督の当事者性とはどういうことですか?
 

『てんかんを聴くぽつラジオ』
©Potsuran
和島  私にはてんかんという持病があり、同病の患者さんと一緒にネットラジオを作ってきました。その方たちの話を聞きながら思うのが、てんかんに対する偏見や差別が今も残っているという事実です。それゆえに症状の悩みを誰にも話せず、学校や勤務先で孤立している患者さんがいます。同時に、病を開示して他者や地域とつながりたいという思いも抱えている。
 
それが私にとって大切なテーマでした。プレゼンでは自分の当事者性を明確にしつつ、障害者に対する地域の不寛容や見守りの大切さを描きたいと伝えました。シナリオだけでは通らないと思っていたので、プレゼンとパイロット版で挽回するしかないと思っていました。
 
本間  プレゼンの反応はどうでしたか?
 
和島  見学者の中に寝ている方がいたら起こすつもりで、呼びかけるように話しました。そうしたら、何人か起きたので手応えを感じました。
 

脚本指導を受けて
 
本間  講師である脚本家の加藤正人さんの指導を受けてみてどうでしたか?
 
和島  基本的なシナリオの書き方や構成の基礎から教えてくださいました。
 
VIPOで加藤さんの「映画脚本読み込み講座」も受けましたし、取材の大切さも教わりました。舞台となる土地を歩き、当事者と話し、足から情報をインプットしていくことが大切だと。
 
本間  かなり取材をしたようですね。どんな収穫がありましたか?
 
和島  主に自閉症のある方のお母さんや福祉関係者に取材をしました。障害を原因とするトラブルや子どもをグループホームに入居させるときの気持ちについてお尋ねしました。話すのが辛いときは沈黙が訪れますが、その表情や所作は後の演出に役立ちました。そして、何度かお会いしていると信頼関係が生まれます。
 
作品作りでは妥協を強いられることもありますが、取材を通じて出会った方たちのことは裏切れないと思います。皆さん鋭い観客です。そのまなざしを想像すると、しんどい時に粘ることができます。
 
本間  最初から近隣住民にスポットを当てたいと言っていましたよね。僕は初稿から関わっていて、エンターテインメントとして見るならば、母と子の話なので近隣住民はあまり大きく取り上げない方がいいと言った覚えがあります。近隣住民の描き方は、脚本上では手応えがある表現ができましたか?
 
和島  珠子と忠男の絆の強さには自分も引っ張られました。しかし、最初にやりたかったことは「障害のある方の地域における孤立と融和のプロセス」だったので、隣家との関係は特に丁寧に描こうと思いました。
 
本間  脚本は順調に進んだようですね。
 
和島  構成の部分でつまずいていてしまうことは多々ありました。そんな時、加藤さんは直接的に解決策を口にせず、それとなくヒントを与えてくれました。私が自分で気付き、掴み取ることを大切にしてくれました。慎重に作家性を育んでくださったと感じています。脚本を書くことは辛いことばかりではなく、発見の喜びでもあると学びました。
 
加藤さんは本当に信頼できる方でした。
 


脚本家・加藤正人さんの脚本指導を受ける和島監督

 

後悔なく作れた『梅切らぬバカ』

加賀まりこさんと塚地武雅さんに決まって
 
本間  珠子役は加賀まりこさんですが、矢島孝(『梅切らぬバカ』プロデューサー)さんが加賀さんに声をかけてくれたのですよね。それで加賀さんは「監督と話したい」と。
 

©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
和島  はい。「“老い”というものについて監督がどのように考えているかを聞きたい」と。それで時間を設けていただいたのです。でもその質問はされませんでした……。
 
本間  矢島プロデューサーとも話しましたが、加賀さんが監督と会うということは絶対に出演してくれると思いました。会ったときは、作品についてあまり突っ込んだ話はしなかった記憶がありますが。
 
和島  そうですね。ただ、加賀さんのお知り合いに自閉症の子どもを持つ方がいるとはおっしゃっていました。自閉症への理解や、親御さんへの思いをお聞きしているうちに、この映画を作る意義を理解してくださっていると感じました。でも、シナリオについては直す余地があると。
 
本間  そこから脚本の直しが始まって、加賀さん本人からリクエストがあったのですよね?
 
和島  はい。直す度に電話をいただいて、いろいろなお話を伺いました。
 
私は「ありがとう」のセリフが照れくさくて書けないのですが、それを加賀さんに見抜かれて、「ハッキリと言わなければダメ」と。
 
本間  加賀さんは「これは珠子はやらないわ」と、珠子になった発言が多かったですよね。現場ではどうでした?
 
和島  決定稿が上がるまでは率直な意見を伝えてくれます。でも、決定稿ができてからはそれを覆すようなことはおっしゃりません。筋が通っていると思いました。撮影はタイトなスケジュールで大変だったと思いますが、最後まで真摯に演じてくださいました。
 
本間  「映画なので撮影1か月半として、週に1回休みをもらえればいい」と言っている加賀さんに、矢島さんが「すみません10日間です」と言って絶句されていましたよね。ギャラの話でも……。
 
「和島監督を一人前にしてあげてください。これは国の文化事業で、監督育成として加賀さんに和島くんを鍛えてほしいのです」と話しました。
 
和島  本当にありがたいです。
 
本間  塚地(武雅)さんはいかがでしたか? 私たちが推薦したんですよね。
 
和島  お忙しい方ですが、事前にグループホームに取材に行く時間を作ってくれました。資料にも丁寧に目を通してくださっていました。
 
本間  グループホームには一緒に行ったのですか?
©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト

 
和島  はい。自閉症の方とお会いしたのですが、塚地さんはすごく静かに見守られていました。必要以上に詮索をしない方ですし、自閉症の方の世界に想いを巡らしていました。人の気持ちに敏感で、関わり方はすごく繊細でした。
 
本間  塚地さんの日常の仕草は演技指導をしたのですか? それとも塚地さんがご自分で演じたのですか?
 
和島  実際にお会いした方や映像資料を参考にしながら、塚地さんがそれを深めて演じてくださっています。撮影現場ではグループホームの職員の方にも確認していただきましたが、塚地さんの演技に関心していました。
 
本間  現場の塚地さんの印象はどうでしたか?
 
和島  現場では静かに準備をされている印象です。周囲にはあまり左右されない役柄ということもあって、自分の世界を守られていたのかもしれません。
 
乗馬クラブからポニーが脱走するシーンでは、思うように馬を演出できず、「もう1回、もう1回……」と私が不機嫌になってしまったことがあります。すると、撮影終わりに塚地さんがそっと私に歩み寄り、「言い方が冷たい」とはっきり指摘してくれました。
 
雨の中、テイクを重ねる度に走らされている役者さんや、乗馬クラブのスタッフの方たちを気遣われていたんですよね。それぞれの懸命さが分かるから、監督としての振る舞いを正してくださったのだと思います。
 
監督もまた見られる仕事なのだと痛感しました。塚地さんは「明日からまたがんばりましょう!」と微笑んでくれたので色々な意味で救われた思いでした。
 

制作過程で学んだこと
 
本間  松竹撮影所のスタッフの方たちはいかがでしたか?
 
和島  私が最初にお会いしたのはプロデューサーの矢島さんです。矢島さんは、自分の意見を押し通すようなことはせず、常に私の意見に耳を傾け、議論の流れを静かに見守ってくださいました。それでいて、最終的にこれしかないと思うのは、最初に矢島さんが出してくれていた案なんです。企画や予算からその後の真っ当な筋道を早々に見極めているんです。矢島さんの正しさを後から気づくことの連続でした。
 
矢島さんへの信頼は他のスタッフへの信頼につながっています。ベテランの方から同世代の方まで、素晴らしいスタッフの方たちと引き合わせていただきましたし、皆さんの力を活かすことが自分の役割だと思って臨みました。完成後に「和島さんは頑固です…」と言われてしまいましたが……(苦笑)
 
本間  では、現場は比較的スムーズだったんじゃないですか?
 
和島  はい、そうですね。ただ、撮影中に持病のてんかん発作が起きることを懸念していました。普段は薬で抑制できていますが、睡眠不足は発作を誘発します。そのリスクは予め本間さんにお伝えしていました。すると、制作部の方が現場近くにホテルをとってくれたんです。自宅との移動時間を睡眠時間に充てられるようにとの配慮でした。おかげで精神的な負担も軽減され、無事に撮影を終えることができました。
 
本間  睡眠が大切だと聞いていたので、それは良かったです。
 
和島  今回コロナ禍での撮影だったので、制作部も気を遣うことが多く大変だったと思います。限られた予算とスケジュールの中でみんなが普段通りの力を発揮できるようなベースを作っていただいたことにとても感謝しています。
 
あとはお弁当がとてもおいしかったです。お弁当でこんなにスタッフのやる気が出るんだと思い知りましたね(笑)。私自身は飢餓状態の方が集中できるのですが、スタッフはモチベーションが大きく左右されるのだと勉強になりました。
 
本間  それは大切ですよ(笑)。
 
出来上がったら、尺が短かったですよね。それに関してはどう思いましたか?
 
和島  90分を想定してシナリオを書いたのですが、ラフカットの時点で69分でした。予想外の雨の影響で削ったシーンが僅かにありますが、決定稿を書き上げる時に大幅にシーンを削っていたことが原因です。10日で全てを撮り切る自信がなかったからです。
 
本間  2人の芝居もそうですが、心情の描写が多いので、「間」や「ため」は余分に撮っておいたほうがいいと話をしましたよね。後からスタッフにお願いして実景を足しましたが、そういうものを撮っておくと編集のときにいいですよね。
 
和島  はい。その点は今後の課題です。また、編集の合間に風景ショットを撮影させていただけたので助かりました。1日半、スタッフの方たちに対応していただきました。
 
本間  カメラマンも含めて「和島監督のためなら」と集まってくれたのは監督の人徳ですよ。
 

『梅切らぬバカ』劇場公開に向けて
 
本間  作品が完成して、いかがでしたか?
 
和島  自信満々には終われませんが、「ギリギリいい」と言えます。自分のタッチを知ることができました。
 
本間  監督として大切なことは何だと思いましたか?
 
和島  先ほどもお話しましたが、撮影の準備が進むほど妥協をしなければいけないところが出てきます。その中で「ここは折れない」というところを見誤らないことです。
 

©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
『梅切らぬバカ』でのそれは、メインの登場人物たちが暮らす二軒並びの家でした。当初は条件に合う家が見つからず、より大きな古民家を庭で仕切り、二軒並びに見せる案がありました。しかし、それだと二軒の微妙な距離感が伝わりづらいと思いました。そこは重要な部分だったので粘って探して良かったです。
 
この映画の根底には障害を開示した上で他者とどう繋がるのかというテーマがあります。だからこそ、両者の微妙な距離の見せ方にこだわることが大切だと思っています。
 
本間  こだわりがないと個性も出ないですよね。
 
観ていただく方へのメッセージや見どころを教えてください。
 
和島  昨夜、加賀さんからお電話をいただいて、「この映画をやって良かった」と言っていただきました。この映画を通して忠さん(塚地さんが演じた息子)が愛されることが一番嬉しいことで、それだけでもこの映画をやった意味があると。
 
加賀さんがそのように思ってくれることがうれしいです。
 
「障害のある方と同じ町に暮らす人」の立場で観てくださる方もいると思います。事情を分かってもらえれば、“監視の目”から“見守りの目”に変わるのではないでしょうか。そういう小さな変化を映画の中でも大切にしています。
 


©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト

今後に向けて

本間  ndjcは文化庁の事業ですが、文化庁やVIPOに望むことや期待することはありますか?
 
和島  私は望んでいた長編を、素晴らしいキャストとスタッフの方たちの下で作ることができました。望むことを叶えていただけたと思っています。
 
もう少しだけ言わせていただけるなら、私はこれからも作り続けていきたいので、プロデューサーの方とのマッチングの場があるととてもありがたいです。

本間  30分の短編作品の名刺で営業するのはなかなか難しいですが、この作品が劇場公開されたら業界にも広がると思うので、売り込みとかを積極的にやったほうがいいと思いますし、私たちもそれをアシストしていきますよ。
 
今後、どのような作品を作っていきたいですか?
 
和島  これからも劇映画を作りたいと思っています。
 
今、ノンフィクションの映画を作るべく取材をしています。80年代後半に共同生活を送りながら1本のドキュメンタリー映画を作った若者たちがいました。ほぼ全員が映画の素人でしたが、当時地元で風化しつつあった公害の被害者たちと向き合い、その日常の豊かさを表現したのです。しかし、青春群像劇として美化したいわけではなく、ものづくりの現場が孕む貧困の問題やスタッフの犠牲について考える機会にしたいと思います。
 
本間  なるほど。意欲作になりそうですね。楽しみにしています。今日はありがとうございました。
 
 

『梅切らぬバカ』
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加賀まりこ   塚地武雅
渡辺いっけい 森口瑤子 斎藤汰鷹 / 林家正蔵 高島礼子
監督・脚本:和島香太郎
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
 
11月12日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

 


©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト

 
 

和島香太郎 Kotaro WAJIMA
映画監督・脚本家

  • 1983年生まれ、山形県出身。テレビドラマ「東京少女」「先生道」などの演出を手掛ける。2012年、短編『WAV』がフランス・ドイツ共同放送局 arte「court-circuit」で放送。また詩人黒田三郎の詩集を原作とした短編『小さなユリと/第一章・夕方の三十分』がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭短編部門にて奨励賞受賞。2014年、初監督作『禁忌』が劇場公開。その他、脚本を担当した『欲動』、『マンガ肉と僕』が釜山国際映画祭、東京国際映画祭に出品。2017年1月より、ネットラジオ「てんかんを聴く ぽつラジオ」(YouTubeとPodcast)を月1回のペースで制作・配信。てんかん患者やそのご家族をゲストに招き、それぞれの日常に転がっている様々な悩みと思いを語ってもらっている。

 
 


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