インタビュー

2026.03.10


世界へ挑む映画人たち~撮影監督・戸田義久氏に聞くAFI留学で得たもの
VIPO(ヴィーポ)では、将来の映像産業を担うプロフェッショナルの発掘と育成を目指すと共に、日本の映画企画や若手クリエイターが世界に出ていく仕組みを構築することを目的とし、AFI(American Film Institute)Conservatoryへ留学を希望する日本人の推薦活動を行っています。https://www.vipo.or.jp/project/afi/
AFI Conservatoryへの入学が正式に決定した場合、“TATSUMI YODA奨学金制度(The Tom Yoda Scholarship Award)”などの奨学金制度給付についてもサポートをしています。
今回、2023年秋に撮影監督/Cinematographyコースに合格、留学した戸田義久さんにお話をうかがいました。

(以下、敬称略)


 
 

キャリアの原点:『ロボコップ』とカセットテープで「聴いた」名画たち

 

VIPOグローバル展開事業部部長 森下美香(以下、森下)  今日はお忙しいところありがとうございます。AFI留学については戸田さんのように第一線で活躍されている方に行ってほしいと思っているので、ご経験をお話しいただくことで、皆さんの目に留まり、応募の後押しになればと考えています。
 
戸田義久氏(以下、戸田)  よろしくお願いします。
 
森下  まずは戸田さんが映像の世界に入ったきっかけから教えてください。もともと撮影監督志望だったのでしょうか?
 
戸田  いえ、完全に成り行きですね。
 
もともとは映画好きで、映画監督になりたかったんです。
小学生の時に父親がVHSレコーダーを買ってきて、最初に録画したのが『ロボコップ』でした。そこから映画が好きになって、テレビで放映している映画をほぼ全部録画して見るようになりました。アメリカ映画のライフスタイルや話し方がすごく素敵だなと思って、ハマりすぎてしまって。当時、自分の部屋にテレビがなかったので、小学校高学年くらいになるとカセットテープレコーダーで、テレビの前で映画を録音して、自分の部屋でその「音」を聞いて映画を想像するということをやっていました。日本語吹き替え版の、淀川長治さんの解説が入った『日曜洋画劇場』や『金曜ロードショー』の音声をカセットテープにとって、部屋で聞きながらワクワクする、というような子供時代でした。
はじめは俳優がいいなと思ったんですが、映画は監督が作るものだと分かって監督を目指し、高校生ぐらいから自主映画を撮り始めました。

 
 

監督希望から撮影の道へ『呪怨』の衝撃

 


『呪怨』の幽霊登場シーンを再現する戸田さん

森下  そこからなぜ撮影の道に進まれたのでしょうか?
 
戸田  大学で映画学科に行き、自分で映画サークルも立ち上げて、コンテストに出品したりしていました。でも自分のスタイルが作れなくて、もっと勉強しようと思って「映画美学校」に入りました。その時、1期生の清水崇監督が劇場デビューする前の『呪怨』オリジナルビデオ版を見る機会がありました。
呪われた家に住んでいる女の子が帰ってきて、2階に上がると白いドレスを着た幽霊が通り過ぎてピタッと止まる。女の子は階段のところにいて「ハッ」てなって。その後幽霊とどうやって目が合うかみたいなシーンになっていきます。僕だったら、幽霊ならゆっくり動くくらいしか思いつかないのですが、清水監督は(立ち上がって再現しながら)こう、パッと止まって……。
 
森下  怖さが伝わりますね。
 
戸田  それを見た時に「めちゃくちゃ面白い!でも「こういう感覚は僕にはないわ」と思ったんです。映画美学校に行って初めて気づいたんですよね、僕、間違えていたと思って。
人をどう動かして配置したら怖く見えるかという演出の発想がなくて、逆に自分は「どう撮るか」ばかり考えていたのだと気づきました。演出をしているときに感じていた「不自由さ」が、撮影しているとなくなって、自由に発想できたんです。それで23か24歳の時に「監督や演出じゃなくて、カメラマンになろう」と、撮影の道に入りました。
 
VIPO専務理事・事務局長 市井三衛(以下、市井)  大きな決断でしたね。そこから撮影の勉強をしたんですか?
 
戸田  24歳で知識も経験もなかったのでとにかくいろんなことを知った方がいいなと思って。自分の頭の中に浮かぶ画を撮ったり技術に磨きをかけていくことはできるけど、そもそも土台が小さすぎるので、海外に行って、自分がよく分からない状況で撮影した方がいいんじゃないかなと思い、ドキュメンタリー番組の制作にかかわることにしました。


 

 
 

ドキュメンタリーで培った「観察することで物語を発見する」技術

 

森下  お仕事でドキュメンタリーを撮影していたんですか?
 
戸田  是枝裕和監督のDP(撮影監督)をやっていた山崎 裕さんの会社「いちまるよん」に入りました。当時ドキュメンタリージャパンという会社の技術部みたいな形で、同社が企画したドキュメンタリーを海外で撮影するような仕事が多数ありました。
企画書を出して通ったものを海外で撮ってくるような仕事を通して、言葉は理解できなくても、観察することで彼らが持っている生活実感や物語を発見しながら作っていくことに向かっていきました。
自分の器を広げないと狭いところで活動する人間になってしまうという危惧があったので。
 
森下  一番最初に行った海外はどこだったんですか?
 
戸田  助手の時は中米のベリーズ、カメラマンとしてはアメリカのフロリダに3ヶ月滞在しました。ジャクソンビルという地域で、貧困地域で犯罪などに手を染めた子供たちが入れられる更生施設のドキュメンタリーを撮ったのが最初でした。
 
森下  ドキュメンタリー撮影からフィクションの作品にかかわるようになった経緯を教えてください。
 
戸田  ドキュメンタリーを撮りながら、是枝組の助手や、若松孝二監督のBカメラをやる機会があり、そこで会う人会う人に自分がかかわった作品や好きな映画についてなど話していました。というのは、自分をカメラマンとして証明する作品がないから、とりあえず喋るしかないなと思っていて。
自分でアピールし続けていたら、興味を持ってもらってオファーが来るようになりました。NHKの大河ドラマもお声がけいただいてカメラマンとして参加した形です。


 
 

21年のキャリアを経て限界を感じAFI留学に挑戦

 

森下  順調にお仕事で活躍されていた中で、なぜAFIへの留学を決意されたのでしょうか?
 
戸田  おかげさまで日本で20年超(2002年から2023年)、いろいろな現場に入らせていただいたんですが、日本のいわゆるカメラマンは、海外で言うところの「カメラオペレーター」としての役割が強いと感じていました。もちろん積極的に関わってはいくんですが、映像というものを考えた時に、カメラオペレーションが半分だとしたら、残りの半分はやっぱり「光(照明)」のことなんです。 光がないと映せないし、光で表現できることが映像において半分ぐらいある。自分はそこのことをやってこなかったなと。 日本での仕事に限界があるわけではないし、日本も好きですが、より良い撮影監督、面白い人間になっていきたいと考えた時に、やっぱりアメリカに行くのがいいんじゃないかと思いました。 アメリカという国というよりは、世界中から才能のある人たちが集まってくる「ハリウッド」に行って、そこでコラボレーションするのが一番尖ったこと、一番面白いことができるんじゃないかという思いで、AFIを目指しました。
 
森下  どなたかから何かアドバイスがあったんですか?
 
戸田  渡部 眞さんや木津俊彦さん、豊島圭介さんですかね。過去にAFIで勉強された方にお会いする機会とかお話を伺う機会があって。
 
森下  偶然ですか。それとも連絡を取られたんですか?
 
戸田  木津さんはもともと友達で。豊島さんは一緒に映画を作ったことがありました。渡部 眞さんには「AFIに興味があるんですけど、どうでしたか」とメールでうかがって、何回かお話を伺いました。
やはりAFIはDPにとってはすごくいいカリキュラムであると聞いて。それで調べていくうちにVIPOさんが推薦事業をやってくれているというのを、ホームページで発見しました。高柳雅暢さんがAFI卒業生だということで、なんとなくその後の展開も見えやすい気がしたので応募しました。
 
森下  ご家族の反対はなかったですか?
 
戸田  最初は家族みんなで行こうと思っていたんですが、1ドル110円だったのが行く時には140円、途中で160円になってしまい、家族全員で行くのは不可能になりました。今はなるべく(家族に)お返ししようと思っているところです。


 
 

AFIでのサバイバル生活 9時→21時の授業

 

森下  AFIに行かれて大変だったことはなんですか?
 
戸田  大変だったのは、カリキュラムですね。特に1年目の前期は朝9時から夜9時まで授業があって、宿題が出るので、資料を読んだり、撮影プランを考える時間も取られて寝る時間がなかったですね。AFIからも「この時期燃え尽き症候群になる人が出るから気をつけて」と言われるほどハードでした(笑)。分量的にやらなければならないことが多かったですね。
 
市井  同期は何人くらいいたんですか?
 
戸田  同期全体で100人ちょっとくらいで、DPは27人です。監督・プロデューサー・編集・美術・脚本・DPのコースがあって、年に3本作品をつくるのと、プラスしてDPとして1本作品を撮らないといけないので、本数が多くてDPが一番忙しいと言われていました。
それぞれのコースにプロのディレクターなどメンターがついて、ロケハンやプランニングについてなどアドバイスをもらえるんですが、チームミーティングやそういうことを含めての9時から21時で、さらに週末はロケハンが入ります。車の免許を取りに行く時間もなかなか取れなかったですね。
車は買ってあったんですが、免許を取らないと保険に入れなくて、結局1年くらいかかりました。
 
森下  言葉の壁を感じることはありましたか?
 
戸田  やはり専門用語があったり、多国籍なので、訛りがある英語は聞き取りづらかったりしましたね。ニューヨークの人は早口だし。でも、それもだんだん慣れていきました。
 
市井  同期100人の中でアメリカ人以外の方はどのくらいでしたか
 
戸田  50%50%です。27人いるDPコースの人も半分くらいはアメリカ人だったと思います。ロスだけでなく、テキサスやニューヨークからも来ていました。日本人は一人でした。
 
市井  年間3本撮影するチームはどうやって作るんですか?役割が変わるんですか?
 
戸田  6つの学科で年間3本作る割り振りは、まず1本目は監督コースの人がやりたい企画をピッチして、スタッフを募る。2本目はスクリーンライターコースの人がピッチして、一緒にやりたい監督やプロデューサーを募集する、といった形でイニシアチブを握る人間が変わっていきます。そういう意味ではいろいろなバリエーションを経験できました。
 
森下  人気がある企画に人が集中したり、スタッフを集めるために売り込みをしないといけない感じなんですか?
 
戸田  みんな自分の企画のほうが面白いよってアピールして個別にミーティングしていくんです。DPとしては「僕ならこう撮れるよ」と自分を売り込む。コンペティションにもなっている感じで、人気の企画ではすごいネゴシエイションがあったりもしました。
「社会の縮図」で問題を起こす人は自然に人気がなくなって、排除され、次の企画に呼ばれなくなっていく場面もありました。
 
市井  まさにサバイバルですね。1本目2本目の評価が次の作品に影響したりもするんですか?
 
戸田  そうです。日々ずっと競争みたいな感じです。3本はつくらないといけないので、3回は絶対やらなきゃいけないのと、1年目の最後に2年目に作る卒業制作のピッチもあるので年に4回ですかね。そういうコンペ→ピッチ→コンペ→ピッチみたいことを経験しました。
AFIとしては、なるべくプロでやっているのと、同じことをやるということで。我々が普段やっていることと変わらない形でした。
 
森下  その中で戸田さんはどう立ち振る舞っていたんですか?日本人一人ということでやりづらいことはありましたか?
 
戸田  僕は40代で現場経験もありましたから、何か問題が起きたときに「こうすれば解決できるよ」と具体的なアイデアを出せたのが強みでした。
黒澤明や、黒沢清の作品を見ている人が多かったのと、是枝(裕和)組で助手をしていたというキャリアは、彼らにとってものすごいパワーワードでした。「あの是枝の現場にいたのか!」という、日本の映画制作に対するリスペクトにはかなり助けられました。
僕はマリオカートの「ヨッシー」になぞらえて「ヨシ!」と呼ばれて親しまれていました(笑)。
 
森下  でも戸田さんは全然40代に見えないですよね。おそらく海外の方からしたらもっと若く見えるのではないでしょうか。
 
戸田  そうかもしれないですね。『誰も知らない』って映画をやっていたんだよって言ったら「お前何歳なんだよ」なんて言われました。
 
森下  戸田さんをAFIに推薦するときに、実は年齢がネックになるかなと心配していたんです。20代後半とか30代前半までしかダメなのかなと思ったのですが、年齢の壁を超えてくださったのがうれしかったです。


 
 

光を究める─AFIで学んだこと

 

市井  AFIでの一番の学びはなんでしたか?
 
戸田  志望動機でもある、ライティング(照明)の勉強ができたことが一番大きかったです。AFIでは、レンズの構成と光の屈折の仕方、フィルムとデジタルセンサーの特性やカメラポジションとアイラインとの関係、また20Kwなどの出来るだけ大きな照明を使ってライティングすることをAFIでは推奨していて、その照明機材の構造やランプ、配線から設置など体系化された知識を細かく学びます。日本でなかなかできなかったことを、2年間でDPとして製作にかかわった6本の作品づくりの現場で実践できました。自分がDPとして撮影していない時はGaffer(照明技師/照明責任者)やGrip(技術スタッフ)として他のAFIのチームを手伝わなくてはならず、望めば撮影に関する一通りのポジションを経験できます。個人的にはDPとしての6本の作品撮影と、より照明の経験を積みたかったのでGafferとして10本以上の短編映画に参加しました。あとは、多国籍なチームで作品づくりをする中で、コミュニケーション能力が磨かれました。かなり具体的に、分かりやすく何回も説明しないと人は動いてくれないのだなということがわかったし、コミュニケーションに相当気をつけないと、全く伝わらないというか、やってくれないんです。チームマネジメントや、伝えるためのコミュニケーション能力は、磨かれた気がします 。
 

 
市井  DPとして受ける立場になった時、監督からのリクエストを具現化する難しさはありましたか?
 
戸田  僕の場合、日本でのキャリアがあったので、監督のやりたいことに対して「それならこういうアイデアがあるよ」と引き出しから提案することができます。受ける難しさというよりは、むしろ「アメリカまで来て日本と同じことをやってもしょうがない」という意識がありました 。
お互いの意見がぶつかったり、よく分からなかったりする時でも、一回は監督の思っている通りにやってみる。そこで失敗しても、AFIは「チャレンジしていい場」であって、最終結果を出す場所ではありません。自分なりに解釈してやってみて、たとえ失敗しても大打撃ではない。むしろ、生じた違和感を自分なりに解消していく過程で、引き出しや経験値が積み重なっていく。それが自分の糧になると思いました。
 
森下  ほかにAFIに行ったメリットなどお感じになられることはありましたか
 
戸田  面白いのは、言葉だけ聞いているとよく分からないエキセントリックな監督が、とんでもなく面白いものを作ったりすることです 。発言だけでは撮影が順調に進むか不安になることもありますが、完成したものを見ると「見たことがないわ、これ」となる。ロシア人の女性監督だったんですが、卒業後すぐにテレビシリーズに抜擢されていました。彼女と一緒に作品を作った際は、大変なこともありましたが(笑)、人としては本当に面白くて、今もつながっています。
こういう「他では得られないつながり」ができるのもAFIの魅力ですね。
 
市井  数多くのことを学ばれて充実した経験だとおうかがいしましたが、欲を言えばもう少しこういうことをしていればよかったなという、後悔というほどでもないけど、ここをやっておけばよかったなみたいなことはありますか?
 
戸田  AFIではとにかく時間がないんですけど、もっと外部の人にリーチしておけばよかったなというのはあります。常に何かしらの作業に追われていて、週末も打ち合わせ、ロケハンや撮影があって、冬休、夏休など除けば休みはほぼありません。
 
あとはさかのぼると、もっと英語を勉強する必要があったと思います。2年目はいろいろなプロダクションを回ったりとかしたんですが、英語のレベルが上がっていればもっとうまくアピールできたかもしれないと、それは現在進行形の課題としても感じています。


 
 

ハリウッドで生活するという魅力

 

森下  AFIは講師の方も豪華だそうですね。
 
戸田  はい。『ラ・ラ・ランド』のDP、リヌス・サンドグレンにインタビューさせてもらったり、授業にはヴィム・ヴェンダースやデヴィッド・フィンチャーが来たりします 。そこでの出会いや、パラマウントの撮影現場でDPがどう働いているかを直に見られた経験は、一生の財産です 。
 
森下  ロスでの生活で、何か印象的なエピソードはありますか?
 
戸田  面白い話があって。ある時、後ろから車をぶつけられたんですよ。「うわ、最悪だ」と思って車を降りたら、僕の車にAFIのステッカーが貼ってあって。「君、AFIのDPなの?」って聞かれて、そうだと答えたら相手も「僕も,DPだよ!」って(笑)。
そんな偶然があるくらい、あそこには世界中から映画を志す人間が密集している。独特の熱量とチャンスが街中に転がっているのを感じました。


 
 

卒業、そしてUTAとのエージェント契約へ

 

森下  卒業後はアメリカの大手エージェンシーであるUTA(ユナイテッド・タレント・エージェンシー)に所属されたとうかがいました
 
戸田  はい。日本人のプロデューサーから紹介してもらい、エージェントにメールして、会いましょうとなってコーヒーを飲みながらプレゼンしました。AFIがなければUTAに入ることもコネクションを作ることも難しかったと思います。いい足掛かりになりました。
UTAからは「アクティブプロジェクトリスト」といって、2026年末までに動く100以上の作品リストが送られてきます。そこから自分のやりたい企画に手を挙げられる。日本での実績も大切にしつつ、このハリウッドの仕組みの中でどこまでいけるか、今はワクワクしています。


 
 

これからAFI留学を目指す人へ

 

市井  現在、円安の影響もあり、海外へ挑戦するハードルは上がっていますが、それでも目指す人たちへメッセージはありますか?
 
戸田  撮影というのは、単なる職業に収まりきらないものだと思っています 。撮影技術という能力を使う前に、まずは一人の「人間としての器」を思い切り広げたほうがいいと思います 。自分をカテゴライズする前に、興味があること、心惹かれることに飛び込んでいって自分を限りなく拡大していく。その先に自分の表現を見つけられたら、他の人を驚かせるような表現にたどり着けるのではないでしょうか 。
確かに為替やお金の面は大変です。僕も円安の影響でお金を借りたりもしました。でも、どの世代であっても「ないもの」は常にあります。若い時にはお金はないけれど、時間はある 。お金よりも時間の方が大事です 。石橋を叩きすぎて自分で割ってしまう前に、自分が持っているものに目を向けて海を渡るとまた新しい風景が見えると思います。映画制作は共同作業でもあるので、VIPOさんの様にサポートしてくれる方々など味方を見つけて、ご自分の力に変えてって下さい。海外で活躍される方々が増えることで結果的にそれが、次世代の映画人の力になったり、日本の映像業界全体の可能性と広がっていくことを皆で探っていきたいと個人的にも思っています。
 
森下  最後になりますが、現在取り組まれているお仕事で何か宣伝などありましたら、教えてください
 
戸田  現在は東宝作品の仕事に入っています。そのあとも民放キー局のドラマ撮影の予定が入っています。今後はアメリカでの仕事も増やしていきたいと思っています。

 
市井森下  ご活躍をお祈りしています。


 
 

戸田義久氏 Yoshihisa TODA
撮影監督

長編映画、ドラマ、CM、ミュージックビデオ、ドキュメンタリーなど、様々なジャンルの作品を40カ国ほどで撮影。AFI卒業と同時にO-1VISA取得と、UTAとエージェント契約UTAとエージェント契約(アメリカ、海外作品のみ。日本作品はTravolta.jpがマネジメント)をし、東京とロサンゼルスをベースに活動。
現在は東宝作品の撮影と、アメリカ映画、台湾・シンガポール合作映画などの準備を進めている。最近の主な撮影作品にDisney+ 「七夕の国」、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、FUJI TV「大豆田とわ子と三人の元夫」など。


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