株式会社スクウェア・エニックス 三宅有氏インタビュー(前篇)

株式会社スクウェア・エニックス 三宅有氏インタビュー

三宅有(みやけゆう)

PROFILE

生年月日 1967年9月1日
出身地 北海道
肩書 エグゼクティブプロデューサー
スクウェア・エニックス
入社年
1990年
主な担当作品 「ドラゴンクエストVIII」以降の全ドラゴンクエストシリーズ作品における、エグゼクティブプロデューサー

趣味

読書
ノンフィクションのブームがくると半年ぐらいそれだけ読んだり、ミステリーのブームがくるとそれだけ読んだりして……まあ、飽きっぽいんですね(笑)。
自分みたいに、しょっちゅう本を読んでいる人間はつらいんです。どんどん読んでいって、そのうち読むものがなくなってくる。自分の好みにあった作品や作家は決まってるわけで、それを全部読んじゃうとだんだん”チャレンジ作品”みたいな際物のほうにいってしまう。そうすると、”はずれ”を引いちゃうことが多くなるんですよ(笑)。本は1週間に2、3冊で半年で70冊ぐらい読みます。

愛読書

中学生時代に読んで最高に面白いと思ったのは、ロバート・アンスン・ハインラインの「宇宙の戦士」です。単純に超かっこいいと思って、何度も読み返していましたが、大学生くらいになってもう一度読んでみたら、超プロパガンダ小説だったんだと認識できました。いろいろと背景がわかってくると、見方も変わってきて面白いですよね。

最近読んでおもしろかった本

マイクル・コナリー「リンカーン弁護士」作家が好きで全作品を読んでいます。

INTERVIEW

ゲーム業界に入られたきっかけを教えて下さい。

最初から明確にゲーム業界を目指していたというわけではありませんでした。実際、ゲームは好きというわけではなく、むしろ全然やってませんでしたから。エニックスという、現在のスクウェア・エニックスの前身だった会社で、学生のときにアルバイトをはじめたのがゲーム業界への入ったきっかけになるかと思います。ちょうどエニックスがゲームの攻略本や漫画など出版事業をはじめた1980年代後半に、出版部門のスタッフとしてアルバイトとして入りました。事業が立ち上がったばかりということで、やることが多く、今思えば丁稚さんのように働きましたが、活気に溢れ楽しかったのは覚えています。自分は広告のアシスタントとして出版部門に入って、雑用も含め何から何までやりました。

学生時代に何年ぐらいアルバイトされたのですか?

3~4年間です。大学を卒業できなくて通常より2年多く通学しました。仕事のしすぎですかね(笑)。学生アルバイトとはいっても社会人並に働いていた自信はあります。広告のアシスタントの後、出版部門の営業に移りました。営業担当者は当時、日本全国で4人ぐらいしかいなくて、その人数でエリア分けして全国をカバーしていました。学生の分在で出張に行って、書店のおじさんと普通に「景気はどうですか?」といった具合にお酒を飲んでましたね(笑)。

株式会社スクウェア・エニックス 三宅有氏インタビューその頃の社風について教えて下さい。

社風とか、そういう堅苦しいものはありませんでしたが、ベンチャー気質で新しいものをやっていこう、という気概は強く感じられました。当時現スクウェア・エニックス・ホールディングスの名誉会長である福嶋康博が社長を務めていて、全体の社員は70人ぐらいでした。何でも自分でやるというのが基本スタンスで、ゲームあり、書籍あり、グッズもありの事業内容でいろんな仕事ができました。ものを作るところから売るところまで社内で全部やっていたので私も含めた、若いスタッフにとってはやりがいがありましたね。

ドラゴンクエストシリーズに関わったのはいつからですか?

ドラゴンクエストに関わりだしたのは10年前で、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』が発売される半年前です。その前に、私が28,9歳の頃に出版の部署からソフトの開発の部署に移り、そこでゲームソフトを2、3本作りました。まったく売れなくて、当社で最低販売本数記録保持者です、といわれてしばらく過ごしましたけどね(笑)。

売れなかったことについてどうお考えになられましたか?

映画、本などもそうですがゲームソフトは当たり外れがあるものです。蓋を開けてみないとわからない怖さはあると思います。売れないということは、会社に対してはもちろん、開発したスタッフの皆さんへの責任も果たせなかったということなんです。そういう認識を持つと同時に、「失敗した」「売れなかった」ということを実感として持っていることがすごく大事だと思います。売れないということは本当に怖い。それを回避するために必死でものを作ったりするわけで、「売れない怖さ」を知らないでいると認識がいつまでたっても甘いままだと思います。初めに「売れない」というのを経験しておけてよかったな、と思います。

何か意識が変わられましたか?

その当時のことは鮮明に覚えています。仕事についての目的がはっきりした感じでした。
ゲーム制作の部署に移ってからは、私はプロデューサーという立場で、外部の開発スタッフや開発会社の方々とゲームを作っており、企画を持ち込まれて作るか、こちらから企画を投げて一緒に作るというスタンスでした。
プロデューサーといっても、当時はただの若造で、いいものを作ればいいとか、わかっている人に認められればいいとか、一部の人に称賛されればいいとか、そういう甘い部分があったと思います。しかし、売れなければ意味がないということに気づきました。
「売れなきゃ物事は始まらない」、「商品を作る以上は売れないと誰も幸せにならない」とプロデューサーとして担当したゲームがなぜ売れなかったのか、真剣に考えました。

ヒット作品を生み出すときに何が必要だと思われますか?

いいものであれば商業的に成功するはずなんです。でもそう簡単にはいかない。いいものを商業的に成功させるのがプロデュースワークです。そう考えています。
最近若いプロデューサーによくいうのは、ゲーム=商品ができたときに、どういう人がどういう風に遊んで何を面白いと思っているかというのを明確にイメージしろ、ということです。例えば今回の「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」では誰をターゲットにしているかというと、おかげさまでユーザー層が幅広いので基本的には全年齢ですが、一番明確にイメージしたのは、中学生の男の子が「わーおもしろいな、これって」といえるものかどうかということです。
そのイメージを徹底することによって、ドラゴンクエストの幅広い層が獲得できているのではないかと思います。30、40年代の人で、子どもの頃ドラゴンクエストで遊んでいた人たちは、ドラゴンクエストによって何を体験したいかというと、中学生の時に感じた「あれおもしろかったな」という気持ちで今度も遊びたい、体験したいということであって、そこは絶対に外してはいけないと思っています。

御社においてのプロデュースワークとは?

当社のプロデューサーについての考え方ですが、変ないい方ですが、会社が銀行で、私たちが社長です。おもしろい企画、おもしろい商品のネタを持って行って、この企画でモノを作ったらこれだけ儲かりますよ、と話をして、会社に了承を得た上でお金を預かって、そのお金でモノを作ります。作ろうとしている商品を担保にして会社にお金をだしてもらいますから、商業的に成功して借りたお金を返します、いっぱい利息もお付けしますよ、というようなアプローチですね。
プロデューサーはある商品の企画が生み出されるところから、実際に作っている最中、商品になるところ、店頭に並べるところ、それを宣伝するところなど、あらゆる過程に関わっていく仕事です。作る人がいて売る人がいて、それぞれの専門スタッフがそれぞれの持ち場で能力を発揮する。プロデューサーは現場から市場、または自社の経営面に関わるところまで把握する必要がありますし、私としてはそこがプロデューサーという仕事の醍醐味だと思います。
成果を求められて厳しい反面、若いプロデューサーにはそこを楽しんでもらいたいです。

御自身プロデューサー志望だったんでしょうか?

私は学生の時に「ものが作られるところから売られるところ、最後まで全て見られる仕事、全てに関われる仕事をしたい」と思いました。プロデューサーという特定の職種を思い浮かべていたわけではありませんが、漠然とモノづくりの過程を全て見ることができる仕事に就きたい! という感じでした。  なんでもかんでも知りたい、世の中の仕組みなどを全て見ておきたい、把握しておかないと気が済まない性質が故に、プロデューサーになったのかもしれません。
特定のコンテンツに熱中する性質でもないので、ゲーム業界でないと、というこだわりはありませんでした。ただ、同じエンターテインメント業界でいえば、映画にしろ音楽にしろすごく成熟した業界になってしまって、もう役割分担が決まっているところもあったんですが、私が若いときは、まだゲーム業界もようやく形になったぐらいのところで、きちんとしたスキームが完成されておらず、役割分担が曖昧なままだったので、私のような者がはまったのかもしれません。
今は規模も大きくなっていますし、それぞれのパートのプロフェッショナルも育ち、以前に比べたら役割分担もはっきりしてきているので、もうプロデューサーに至るアプローチの方法は変わってきていますが。

株式会社スクウェア・エニックス 三宅有氏インタビューエクゼクティブプロデューサーとして、プロデューサーたちをまとめていくにあたって不可欠なものは?

人を動かすには〝信用〝だと断言します。
プロデューサー自身は基本的に自分で何も作れないし、何もできません。私もプログラムが書けるわけでもなく、絵が描けるわけでもなく、歌が歌えるわけでもない。一体プロデューサーが何を仕事にしなければいけないかというと、それぞれの役割の人たちに対して、100%いい仕事をしてもらうことが仕事なんです。
プログラムを書く人、絵を描く人、営業も宣伝も、プロジェクトに関わるすべての人が最大限の力を発揮できるように、その人たちに自分を信用してもらい、どう動いてもらえるかが、プロデューサーのすべてなんです。
そのやり方については、一生懸命話をして人を動かすこともあるでしょうし、何かしらの力を見せつけて人を動かすこともあるでしょうし、各々のやり方によるとは思います。
また、仕事をやっていると、きつくなってくることが多々あります。できないことがあったり、売れなかったりといったようなことです。でも、私たちの作っているものって要は人をおもしろがらせたり、楽しませたりするものですから、作っている時もそうしようよ、楽しくやろうよ、いうことはよくいいます。とはいえ僕自身は全然楽しくありません(笑)。周りの人が楽しくやってくれればいいんですよ。プロデューサー、スタッフたちが生き生き仕事をしてくれれば。

御自身の仕事の仕方についてもう少し教えて下さい。

私はどんな相手に対してでも、きちんとした仕事をするようにしています。
きちんとした仕事とは、まず、今の状況、何をしなければいけないかとか、何をするのが適切かとか、何が大事なのかを、きちんと理解してもらうように説明するところから始まります。説明するためには、まず自分の中でもそれがきちんと整理されていないといけない。そして、整理をするためには年がら年中考えるということです。仕事の流れ、何が必要で、どういう手法を取っていくかなどを究極的に考え、判断していくのがプロデューサー、エクゼクティブプロデューサーの仕事であり、またそれがスタッフ、仕事に対しての礼儀だと思います。

堀井雄二さん、鳥山明さんなどのクリエーターさんたちと仕事をする上で気をつけている点は?

まわりから思われるほど、大変ではないんです。失礼な言い方かもしれませんですが、ある世界できちんと生き残っている方たちは理不尽な話もしないですし、仕事もきっちりされています。
いいものを作る、面白いものを作るという方向性さえ間違っていなければ、きちんと話をすれば通じるので、物事を進めていくにあたって特に大きな問題はないですね。
いわゆる大御所であろうが新人のクリエーターであろうが、もの作りのステージでは関係ないんですね。もちろん、お付き合いが長くなると、たとえば堀井さんはこういう方で、こういうところが気になるんだな、というのがわかるようになってきて、それに合わせて仕事をしていくというのもあります。
ただそれも、堀井さんだからというのではなく、相手がいる以上当たり前のことで、いかにいい仕事をしてもらうかが目的であれば、人を見ながらやっていくというのは基本中の基本なんですけどね。

ゲームの市場開拓については?

最近ですと、今のゲーム業界も日本市場だけでは立ち行かなくなっているので、北米、欧州の市場には常に目を向けています。ただ日本の市場だと、自分たちの今までの経験から自分の実感として「ユーザーがこうしたい」という嗜好がある程度わかるのですが、例えばアメリカの中学生がどんな生活をして何をおもしろいと思っているのか、情報としてはいろいろ取れますが実感としてはわからない、というのがあります。そのために、ある程度ゲームができたところで実際にアメリカの中学生に遊んでもらい、改善点を洗いだして反映させていくということはしていますね。
ゲーム業界の傾向として、少し前まではワールドワイドな展開を狙って、全世界で同時に発売するんだと躍起になっていましたが、今は徐々に変わってきています。日本で受けるもの、アメリカで受けるもの、ヨーロッパの中でもラテン系に受ける、フランス人に受けるなど、より嗜好が細分化されているという認識です。
ゲームも細分化されたマーケットに合わせて作っていかないといけません。

日本のゲーム業界の現状についてどうお考えですか?

流れとして、家庭用テレビゲームはもともと日本から始まったといっていいと思います。
オリジナルはアメリカからですが、一般に普及したという意味でいうと、日本の任天堂さんなり当社も含めて日本のゲームの開発会社が広げ、市場として確立し、それに倣ってアメリカの人たちが作りはじめたんです。ただ現在は、アメリカの方が、技術的な面や、効率的な生産工程なども含めて考えると、先をいっていると思います。アイデア的にも日本が置いていかれている状況になっていますね。人数、コストをかけて大きなゲームを作るという部分で、日本的な作り方にけっこう限界がきているんですよ。人やコストなどのかけ方という点で、アメリカの人たちはきちんと整理した上でゲームを作っています。その上で、日本のゲームの作り方のいいところ悪いところ、おもしろいところ、おもしろくないところなどもきっちり分析しています。
ただし、アメリカのゲームメーカーは、そういうシステム作りが行き過ぎて、みんな同じようなゲームばかりになりつつあります。ゲームの作り方もハリウッドっぽくなってきているというか、量産で均一化されたものが多くなってきてるんですね。 そうなってくるとユーザーも辟易して、そこにスキが見えてくるだろうな、と思っています。一度世間が認めたブランドに対し戦っていかないといけないので大変だとは思いますが、私たちが市場奪回に向けて頑張っていきます。

アジアのマーケットについてはどうお考えですか?

特に中国ですが、海賊版の問題が顕著で、映画も音楽も同じだと思いますが、海賊版のせいで低いところに値ごろ感ができてしまっていますよね。ゲーム1本500円で手に入るものを今さら2~3千円だして買うとは思えません。ただ500円で1本のゲームは作れないので、そのズレはすごく大きいです。  パッケージを含めた有形のプラットフォームで売るのは難しいと思っています。そこで当社でもやっているのがネットワークのゲームです。サーバー側で認証して課金をする仕組みであれば、ユーザーからお金をきちんと戴くことができ、海賊版に対抗できる一つの手段になります。ネットワークのダウンロードとかネットワーク上で遊ぶゲームという方向であれば、実際にネットワークのゲームを遊んでいる人は中国、韓国などでも多いですし、アジアはとても大きな市場だと思います。
権利を主張し集金方法ばかりを考えるのではなく、おもしろい、便利な仕組みにゲームを載せるということで、販路は拡がっていくのではないでしょうか。

(取材・文 広報室 小林真名実)


“ニンテンドーDS”専用ソフト ドラゴンクエストIX 星空の守り人

商品のご案内

ドラゴンクエストIX 星空の守り人

1986 年の第1 作発売以来、つねに日本の家庭用RPG を代表する作品「ドラゴンクエスト」シリーズ。シリーズの特長である「自分自身が主人公となって壮大な世界を冒険する」という楽しさに加え、さまざまなキャラクターカスタマイズの要素を導入。また、ニンテンドーDSならではのワイヤレス通信機能を活かし、ひとつの世界をひとりだけではなく、本当の”仲間”といっしょに冒険するマルチプレイの醍醐味を実現。

<商品概要>

作品名:「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」
対応機種:ニンテンドーDS
メディア:ニンテンドーDS専用カード
プレイ人数: 1人
DSワイヤレスプレイ対応(2〜4人)
ニンテンドーWi-Fi コネクション対応
2009年7月11日〜発売中
希望小売価格: 5,980円(税込)

『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』公式サイト
http://www.DQIX.jp/

<制作スタッフ>

シナリオ・ゲームデザイン: 堀井雄二
キャラクターデザイン: 鳥山明
音楽: すぎやまこういち
開発: 株式会社レベルファイブ 株式会社スクウェア・エニックス
制作・販売: 株式会社スクウェア・エニックス

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