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インタビュー

2021.03.22


ストップモーションアニメーション作家・村田朋泰さんが語る――海外には自分の作品をキャッチしてくれる人がいる!
2002年、第5回文化庁「メディア芸術祭」優秀賞受賞。2002年、Mr.ChildrenのMVへの採用。2018年、「アヌシー国際アニメーション映画祭」での特集上映。2019年、ジャパン・ソサエティ(NY)での特別上映を経て2020年11月、12月にリバイバル上映(オンライン)へと、海外で注目されるストップモーションアニメーション作家・村田朋泰さん。今回は、村田さんがご自身の作品世界を大切にしながら活動の場を広げていく様子、作家の方たちに必要なサポートについて、今後の作品作りなどについてお話を伺いました。(取材日:2021年1月22日)

 

男の子と女の子が短い秋に過ごした思い出。
大人になったいまでも、忘れない記憶と切ない痛み。男は少年だったころの路を辿る。
どこまでも真っ白な景色を駆けていくように。
Mr.ChildrenのMVに採用された『白の路』(2002)©TMC
(以下、敬称略)

自分の作品世界を創るまで

村田朋泰のルーツ
 
統括部長・グローバル事業推進部長 森下美香(以下、森下)  村田さん、NYジャパン・ソサイエティでのリバイバル上映おめでとうございます! 2019年のジャパン・ソサエティでの特別上映が大変好評で、今回の再上映に繋がったんですね。
 
村田朋泰(以下、村田)  ありがとうございます。お陰さまで私の作品を気に入ってくださった方が多かったようです。昨年11月、12月にオンラインで再上映していただきました。
 
森下  「アヌシー国際アニメーション映画祭2018」での村田作品の特集上映をきっかけにジャパン・ソサイエティにご紹介したので、特集上映、さらに再上映されたのをとても嬉しく思っています。そのニュースを聞いて、ぜひ近況をお伺いしたいと思いました。
 
今日のインタビューでは、村田作品をまだ知らない方々にぜひ知っていただきたいですし、村田さんが段階的に海外に羽ばたかれていくプロセスなどを、海外展開をめざしている方々にお伝えしたいと思っています。よろしくお願いいたします。
 
村田  こちらこそよろしくお願いいたします。
 
森下  村田さんの作品は人となりを反映されているような、とても優しくて心が震えるような作品ですよね。作品を作るきっかけや影響を受けたアーティストなど、まずはバックグラウンドや作品に対する思いなどをお伺いできますか?
 
村田  生い立ちからお話いたしますと、私の母親は絵描きなのですが、その影響で兄弟4人全員が幼少期からお絵描き教室に通っていました。小学校卒業まで続けていたのは私だけで、ジャンプ世代だった私は、漫画家になりたいと思っていました。私は一卵性の双子なのですが、社交的な弟とは異なり、漫画を描く時間や映画や小説に親しむ時間のほうが性に合っていましたね。
 
デザイン科のある高校に入り、相変わらず絵を描くのが好きでしたが、その頃はすごく映画に興味を持っていて、映画監督にあこがれていました。一方で、映画の現場はたくさんの方たちが関わって一つのものを作っていくイメージだったので、当時それは自分にはできないと思っていました。
 
森下  共同でのものづくりは合わないと感じていたんですね。
 
村田  漠然と、ひとりで完結できそうなことをやりたいと思っていました。大学へは高校からの指定校推薦で現役ですんなり入れたことで、自分が今まで一生懸命やってきたことがないと感じて、頑張りどころがわからなくなってしまいました。それを親に相談して3カ月で大学を辞めさせてもらい、3浪して東京藝術大学に入りました。
 
森下  1つめの大学では何を専攻していたのですか?
 
村田  教育学部の中にあるデザイン学科でした。総合大学だったので、いろいろな人種の学生がいました。今考えるとすごく面白い大学で、もう少し交流を持ったらよかったのかもしれません。でも当時の私は作ることだけの世界に身を投じてその刺激を受けたいと思っていたんですね。
 
当時の予備校には3浪生だけで40人くらいいましたが、競争して勝ち抜いていくみたいなことが自分にあまり合ってないと感じていました。私の散歩コースは自宅近くの谷中や千駄木なのですが、上野や池袋のような時の流れが速い街とは違い、そういう土地の雰囲気が私の生きるペースや作品に反映されているのかなと思います。
 

大学時代に始めたストップモーションアニメーション
 

作品の舞台セット(一部)
森下  藝大に入っていかがでしたか? いつ頃から作品作りを始めたのですか?
 
村田  入学後に何をやるかは全然考えていませんでした。当時の藝大のデザイン科は今と違い、油絵画家や日本画家の先生が教授だったんです。大藪雅孝先生や中島千波先生など巨匠の方たちだったので、雰囲気が作家方向だったんです。
 
森下  それは贅沢な環境でしたね。
 
村田  そうですね。就活する気がなくて、何か見つけないといけないと思っていた頃に、マッキントッシュやウィンドウズが普及し始めました。個人で映像を作れることがすごく面白いと思って、大学にある機材とパソコンをあわせて、自分でアニメーションを作ってみようかなと思ったのが、作品を作り始めたきっかけです。
 
森下  最初は2Dのアニメーションだったのですか?
 
村田  最初から人形で作りました。
 
森下  最初からストップモーションアニメーション(コマ撮り)で作られていたんですか?
 
村田  ストップモーションアニメーションをやりたいと思ったのは大学2年のときにチェコのアニメーションを見てからです。チェコの1989年の革命以前に作られた作家たちの作品が結構面白かったんです。
 
ヤン・シュヴァンクマイエル(1934年~。シュルレアリストの芸術家、アニメーション作家・映像作家、映画監督)やイジー・バルタ(1948年~。ストップモーションアニメーション映画監督)、イジー・トルンカ(1912年~1969年。アニメーション監督、人形作家、絵本作家)などの作品を見て、ブラックなのにふざけている感じ、暗さのユーモアがとてもしっくりきました。
 
チェコのアニメーションをマネするのではなく、日本人としてのアイデンティティは何かを考えるようになりました。私は元々小説や文楽が好きで、間の動きとかしぐさに特化している文楽はすごい表現だと思っていました。それと、タルコフスキー(1932年~1986年。ソ連の映画監督)の詩的な情感や、彼の生い立ちから滲み出る業みたいものに惹かれて学生時代は何回も観ていました。
 
事務局次長・映像事業部長 槙田寿文(以下、槇田)  日本のストップモーションアニメーション作家で影響を受けた方はいますか?
 
村田  岡本忠成(1932年~1990年。アニメーション作家)の『おこんじょうるり』や川本喜八郎(1925年~2010年。アニメーション作家、人形作家)の『道成寺』が好きでした。
 
森下  ストップモーションアニメーション(コマ撮り)を大学の先生に勧められたたわけではないんですね?
 
村田  違います。大学4年の時に『睡蓮の人』を1年かけて作ったときは、先生に相談して大学内にある倉庫みたいなところを貸してもらって寝泊まりして制作していました。
 
私は口下手という性格もありますが、作った作品だけで勝負したかったんです。作っているものだけで認めてもらえるすごくいい大学時代だったと思います。先生のアドバイスをもらうよりも、自分が失敗しても構わないから自分で完結するのが学生だと思っていました。今でも要領はあまり良くないかもしれませんが、学生のときからそうでした。
 

『睡蓮の人』(2000)ダイジェスト版©TMC

村田作品のノスタルジー
 
森下  村田作品に感じるノスタルジーのようなものは世界共通だと思っています。今はどういう想いで表現していますか?
 
村田  私の性格もあると思いますが、古い町並みや人が使い込んだ建物、土地の匂いにすごく共感したり安心したりすることは大きいと思います。
 
家族デッキ1(2007春)』という作品は、今は無くなってしまいましたが、昔からある床屋さんを取材して、それを再現して、ミニチュアで保存するという形で作りました。それに新たな物語を付け加えました。
 
森下  冒頭でご家族のお話が出ましたが、作品の中で双子の兄弟などもでてくるんですか?
 
村田  そうですね。二面性として出てきたりもしますね。光と影で登場しています。『松が枝を結び』も双子の女の子が主人公です。
 
森下  お人形の顔が変わってきたように感じましたが、いかがですか?
 
村田  あまり意識していませんが、普遍的な人形にしたいのかもしれません。目の印象や雰囲気は共通していると思います。
 
槙田  タルコフスキーでなるほどと思ったのですが、ノスタルジックと同時に喪失感のようなものも表れていますよね。それは意識しているものなのですか?
 
村田  そうですね。喪失感や不在感には惹かれますね。作品の題材になっています。でも、それがどこからきているのかは自分でもわかりませんが、それ無くして語れないところもあるんでしょうね。自分たちもいずれは消えていくことを、若いときから意識しているのかもしれないですし、死に対する準備みたいな感じもしています。あまり未来に憧れがなくて、過去に自分の考えが宿りやすいので、ノスタルジックになってくるんだと思います。
 

『松が枝を結び』(2017)ダイジェスト版©TMC

文化庁「メディア芸術祭」での受賞、Mr.ChildrenのMVへの採用
 
森下  2002年、文化庁「メディア芸術祭」に作品をエントリーしたのはご自身ですか? それとも大学の推薦ですか?
 
村田  古川タク先生(1941年~。アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、日本アニメーション協会会長)にエントリーを勧められました。でも「もっと編集に集中してみなさい」とアドバイスをいただきました。それから編集の重要性を感じ、5分短くして出品したら入賞しました。タク先生のおかげです。
 
森下  受賞されたときはどう思われました?
 
村田  何が起きているのかよくわかりませんでしたが、題材も地味で独特の作りの個人のアニメーションを面白いと思っていただいたのは、幸先がとても良いと思いました。ただその後、なかなか思うようにいきませんでした。効率と費用削減でストップモーションアニメーションの表現がメジャーになるのは難しいと感じています。
 
森下  Mr.Childrenさんのミュージックビデオ作品にもなりましたよね? どのような経緯で採用されたのですか?
 
村田  2002年の藝大の卒業制作展で、私が大学院のときの作品『朱の路』を展示していたのですが、それをミスチルさん所属事務所の映像担当の方が見に来られていたんです。その方が小林武史さんに伝えたら、小林さんがやりたいとおっしゃってくれて、大学卒業後すぐに話が進みました。
 
すごい宣伝力でした。当時は、それほどネットが普及していなかったですし、ツイッターもありませんでした。それでもすごかったです。問い合わせが多くてパソコンがパンクしました(笑)。
 
森下  まるでシンデレラストーリーですね。卒業展には業界の方が見に来て若い才能を探しているんでしょうね。
 
村田  今でもそれがきっかけで仕事の依頼がありますからね。ミスチル効果は絶大でしたね。
 
森下  今後、組んでみたいアーティストの方とかはらっしゃいますか?
 
村田  また、ミスチルさんとやりたいですね。それと、昨年のNHK紅白ですごくいいなと思ったのが、東京事変の椎名林檎さんです。あいみょんさんもとても良かったです。すごくシンプルに演出されていて、まるでフォークを聴いているようでした。歌詞にも共感しました。
 

『朱の路』(2002)ダイジェスト版©TMC

仏「アヌシー国際アニメーション映画祭」での観客の反応
 
森下  2018年にフランスの「アヌシー国際アニメーション映画祭」でご一緒したとき*に感じたことや、現地の方々からの反応を教えていただけますか?
*「村田朋泰 ストップモーションアニメーション特集」で『睡蓮の人』、『朱の路』、『家族デッキ Vol.1・Vol.2・Vol.3・Vol.5・Vol.6』、『白の路』、 『木ノ花ノ咲クヤ森』、『天地』、『松が枝を結び』を上映
 
村田  アヌシーでの反応は日本では味わえない感じでしたね。英語やフランス語の質問に、わからないなりに答えましたが、関心度が日本と全く違うのだとつくづく感じました。
 
森下  村田さんは、はじめから海外の方を想定して作品を制作しているんですか?
 
村田  私の作品はセリフがないので、国境に関係なく感性で共感してもらえたらいいなという気持ちでいます。
 
学生時代は「日本人としてのアイデンティティは何か?」と考えながら制作していたので、『睡蓮の人』は日本を舞台にしたセットで挑みました。その次に作った『朱の路』は、日本というより、アジアの雰囲気で挑みたいという想いはありました。
 
森下  海外に受け入れられた反応というのは、期待通りでしたか? 
 
村田  日本での上映会では、あまり注目されることがなかったので(笑)、海外でも同じなのかなと思っていました。ですから、アヌシーや、NYのジャパン・ソサエティでの観客の数の多さが不思議でした。
 
海外では有名無名に関わらず、対する敬意が日本よりもあるのかもしれません。観客層の違いも感じましたし、アートに対する理解やモノの見方の文化の歴史も海外の方が深いと感じました。
 
日本では、異質なもの、重いもの、わかりづらいもの、能動的に何か考えなければならないものに対してちょっと抵抗があるのかなと思います。そういうところで、あまり頭使いたくないというか……。一方で価値が決まっているものにはすごく反応しやすいのが、日本人の特徴なのかなと思います。
 
森下  特に最近はそうですよね。だんだんそういう層が増えてきたと思います。
 
村田  海外はそういう決めつけが薄いですね。ヨーロッパは一つの大陸の中で多文化で交流していることが根にあるので、日本のような島国の感覚とは全く違うなと思いました。
 

「アヌシー国際アニメーション映画祭2018」ジャパンブースの様子

海外にはキャッチしてくれる人たちがいる
 
森下  アヌシー以降、ご自身の意識の中で変わったことはありますか? 海外に対する意識とか。
 
村田  海外から誘われるようになって、出展したりしています。私の作品は作家性・日本色が強いと思うので、どのように扱えるのかが見えづらく、仕事につながりにくいと思っています。アートとエンターテイメントでは作品の見え方が違うと思うのですが、私の作品はアートの方で反応があるので、根本はアート系なんだろうなと思います。ただ、私や会社としては、もう少しエンターテイメントを意識したいなと思っています。そのように考えるきっかけになりました。
 
森下  海外での作品発表は、今後どのように考えていますか? 具体的な計画はありますか?
 
村田  そうですね。2019年のジャパン・ソサエティのイベントで私の作品を観てくださったNYの大学の先生から、今年の2月か3月にその作品を使ってオンラインで講義してほしいと依頼がありました。
 

イベントカレンダーの表紙
©ジャパン・ソサエティ(NY)/
『家族デッキ』©TMC
映像系の先生からも、ご自身の著書に私の作品を掲載したいとリクエストをいただきました。その先生は日本の方で、学生に広めたいし観てもらいたいということでした。そこはさすがNYという感じですね。アカデミックなところで繋がっていきますね。
 
槙田  アヌシーのときにNYに興味があるとおっしゃっていたので、ジャパン・ソサエティに売り込みました。そうしたら「面白いのでぜひやりたい」と。
 
村田  驚きました! とても嬉しかったです。
 
槙田  ギャラリーの方と一緒にNYのアートシーンに出ていきたいということでしたが、それは変わっていませんか?
 
村田  そうですね。ただ今は海外に行けませんので、流れを見つつではあるのですが、常に海外を意識していく気持ちは変わりません。
 
槙田  海外のほうが村田さんの作品をキャッチする方たちが一定数いますね。そういう方たちがたくさん集まっているのがアヌシーやNYなんだと思います。ジャパン・ソサエティもカレンダーの表紙になるとは思っていなかったので、それは向こうのクリエイターの方が見てくれたんだと思います。皆さん初見で「これは面白そうだ!」とチケット買ってくれてソールドアウト! とても好評で「またやりましょう」となって、昨年のリバイバル上映。ここからどんどん広がっていくと思います。
 
村田  共感していただけるのはとても嬉しいです。わからないなりにでも楽しんでもらうことや、関心を持ってもらうことは、私自身も大切にしていることです。
 

コロナ禍における作品制作と発表
 
森下  現在、準備中の作品はありますか?
 
村田  今私が取り組んでいる題材には民間信仰のアマビエや黄ぶな、クダンといった(現代でいう)キャラクター達がなぜ生まれたのかを私なりに解釈して作中に登場させたいと考えています。(当時の)疫病や災害の際、薬や治療に手が回らない人々にとって、アマビエの絵のゆるさや黄ブナの派手なまっ黄色な明るさは、気晴らしや、笑いを誘うもの、和みだったんだと思うんです。それを作品に取り入れようと思っています。
 
コロナ禍では行動や人との対面が制限されています。そのことで少しずつですが閉塞感や倦怠感を抱いている人が多くなっているように思います。だからこそちょっとしたことで心和んだり、笑ったりする気持ちを大事にしたいなと思います。
 
森下  発表のご予定はありますか?
 
村田  オリジナルの作品『春になったら こぐまのユーゴ物語』にアマビエなどが出てくる話を考えています。『春になったら こぐまのユーゴ物語』本編はコロナの話で、その前のプロモーションとして昨年SNSに少しずつ流していました。10~15分の作品を作って海外や日本のコンペに出すか、1カ月に1回、SNSで1分くらいの配信で連載するのがいいのか考えているところです。
 
森下  楽しみですね。構想中のものなどはいかがですか?
 
村田  4年くらい前から、神話をベースにした火にまつわる儀式の作品の準備をしています。イザナギに殺されたカグツチの血が8つの山になってその山が火を噴くのですが、その山を鎮める儀式のアニメーションをミニチュアで作ろうと思っているんです。
 
ミニチュアセットを作るとき、今は道具の充実や3Dプリンタやレーザーカッターなどでかなり小さい物まで精密に作れます。それとは逆のベクトルでミニチュアセットを作ると、例えば手だけ(道具はあまり使わず)を使ってミニチュアのお皿を粘土で作ると、指紋の跡や皿の厚みによって、温もりや柔らかさが強調されます。この「温もりや柔らかさ」にスポットを当てて、ミニチュアセットを作りたいと思っています。
 
森下  今は全部CGで作れてしまいますから、そこと差別化するのはハンドメイドだけですね。
 

『春になったら こぐまのユーゴ物語』(2020-2021)©TMC

資金調達の難しさ
 
槙田  長編の企画などはいかがですか?
 
村田  日本ではストップモーションアニメーションで長編を作る話はどこからもきていないと思います。そういう話が出てこないのは、作ってもお金にならないとわかっているからだと思います。
 

数々の工具類が並ぶ
村田さんのアトリエ
槙田  海外マーケットを最初から視野に入れていないと長編は作れませんよね。そういうプロデューサーが必要ですね。
 
村田  今年の1月からテレビ東京で後輩の見里朝希くんが監督している『PUI PUI モルカー』という短いアニメーションが話題になっています。彼のおかげでこの業界が注目されていることは間違いありません。モルカーも限られた予算で制作されているかと思いますが、なにより見ていてこんなに和むアニメーションは他にありません。
 
槙田  モルカーを見つけたプロデューサーがいたということですね。
 
村田さんは、制作費の調達はどうされているのですか?
 
村田  制作費に関しては、仕事で得た利益を少しずつ貯めてまわす場合と、助成金を申請する場合があります。前回制作した『松が枝を結び』は文化庁の助成金を申請しました。何度か申請通らず、その度に少しずつ資料をブラッシュアップしていきました。
 
槙田  クラウドファンディングは利用していますか?
 
村田  はい。何回か利用しています。クラウドファンディングは、サポーターの方たちへの配慮と、その後の商品発送やイベント実施の準備などが重要なので、実行するためのスタッフが必要になります。今はコロナもあるので控えています。
 
槙田  確かにサポーターさんへの対応が一番大切ですよね。
 
村田  コロナ前までは、作品を制作し発表の場が確実にあるという状況でしたが、現在はその土台が不安定なので、自作品制作のリスクが高くなっているのはどの作家さんも同様かと思います。
 

NHK Eテレのプチプチ・アニメの枠で10年以上にわたり放送されている『森のレシオ』(2010-2021)©NHK・NEP・TMC

文化庁に期待すること
 
槙田  VIPOでは文化庁の「メディア芸術海外展開事業」をやらせていただいています。アメリカのほうがわりと手付かずで残っているので、メディアートやストップモーションアニメーションなどを向こうでうまく展開できないかなと考えています。
 
海外展開について、文化庁へ何かお願いしたいことはありますか?
 
村田  まず、発表の場を提供していただけるだけでも作家としては大変ありがたく感じています。
 
槙田  補助金などについてはいかがですか?
 
村田  映像分野に関する制作費の申請については、敷居の高い条件が盛り込まれていると感じています。申請が通った作品は、公共の場で1週間以上の上映発表する必要があるのですが、私のような規模の小さい作家ですと、逆に費用がかかってしまうんです。発表の仕方について、新たな条件に変更していただけるとより多くの作家が応募できると思います。この条件のせいなのか、アニメーション関係者からの応募がとても少ないと聞いたことがあります。
 
槙田  言い換えると、この条件をクリアできる作家、あるいは会社は申請が通りやすいということにもなりますね。海外展開に関してはいかがですか?
 
村田  日本の社会問題、文化、歴史などを体現した作家も多くいると思うので、少しマニアックになるかもしれませんが、ニッチな作家を海外に紹介していただける機会があると面白いと思います。
 
槙田  さきほどのお話にもあったように、マニアックな作品だとしても海外ではキャッチする方たちはいるでしょうね。
 
村田  そう思います。
 
今はコロナによって、わざわざ人と会うことがめっきり減りました。雑談の機会もほとんどありません。能動的に行動する方はこういう状況でも外へ目を向けて生活できると思いますが、受動的な方も多いのではないでしょうか? 日常では、主にSNSや自分の好きなものだけを見聞し、自分の居場所がさらにニッチになっているように感じています。こういう状況で何ができるのかわかりませんが、作家として「何かせねば!」という気持ちは持ち続けています。
 
文化庁さんの支援によって、多くの作家が新たな視点で何かを提供してくれるのではないかと、僕自身も大いに期待しているところです。
 

私にとって作品を作ること
 
森下  最後に今頑張って作品をつくっているクリエーターの方たちへのメッセージをいただけますか?
 
村田  私自身はなるべく自由でのびのびできる場所に行こうとするんです。作品作りは、ストレスのかかることや、人に言われてやるようなことではないと思っています。私にとっては、人形や小さいセットを作っているときがのびのびした時間なんです。
 
そういう場所を見つけたら、周りに何か言われたとしても続けるべきだと思います。そこから先、どうすればいいのかは難しいと思いますが、作るものがたとえ上手くないとしても、その人の持っている愛情がそこにあれば見ている人に届くと思います。
 
ストップモーションアニメーションをやりたいと思っている人はあまり周りに流されないと思います。とはいえ、将来像が見えづらい表現なので、不安に陥って続けるのが厳しいと思うこともあると思います。それで違う道に行くのはいいと思いますが、私はこの表現が自分にとって天職で大事な時間だと学生の時に感じました。それ無しでは、自由はないと思っているので、どこかでストップモーションアニメーションに繋がる生き方をしているのだと思います。
 
続けていけば続けていけたなりの形になっていくと思います。それは自分らしい形でいいと思います。
 

『こぐまのユーゴ「春のひととき」』(2021)©TMC


 
 

村田朋泰 Tomoyasu MURATA
ストップモーションアニメーション作家

  • 1974年生まれ
    2002年  東京芸術大学修士課程美術研究科デザイン専攻伝達造形修了
    同年    有限会社TMC設立
     
    〈受賞歴〉

    2017年 第10回国際アニメーションフェスティバルANCA入選『木ノ花ノ咲クヤ森』
    2016年 シュトゥットガルト国際アニメーション映画祭2016入選『木ノ花ノ咲クヤ森』
    2010年 第13回文化庁メディア芸術祭/審査委員会推薦作品『家族デッキ』
    SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2010/奨励賞『家族デッキ』
    2003年 第2回国際アニメーションフェスティバル アニフェス2003トレボン入選『朱の路』
    アヌシー国際アニメーションフェスティバル2003にて『朱の路』が推薦作品として上映
    2002年 第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞『睡蓮の人』
    PFFアワード2002年審査員特別賞『睡蓮の人』
    第9回広島国際アニメーションフェスティバル優秀賞『朱の路』
    森アートミュージアム企画 Young Video Artists Initiative佳作『朱の路』
    東京芸術大学大学院美術学部デザイン科修了制作大学買い上げ賞・首席『朱の路』
    2001年 第2回ラピュタアニメーションフェスティバル2000観客・ヒューマン賞『睡蓮の人』
    2000年 東京芸術大学美術学部デザイン科卒業制作デザイン賞『睡蓮の人』
    BBCCネットアート&映像フェスタ2000映像部門入選 『睡蓮の人』

     
    ・村田朋泰公式サイト https://www.tomoyasu.net/
    ・YouTube公式チャンネル「TOMOYASU MURATA ch
    ・公式Twitter「TOMOYASU MURATA Co.

 
 


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