「カフェ・ソウル」監督 武正晴氏インタビュー

「カフェ・ソウル」監督 武正晴氏インタビュー

「カフェ・ソウル」監督 武正晴氏インタビュー

PROFILE

1967年生まれ。
明治大学卒業後、映画業界の道に進む。
井筒和幸監督等多くのベテラン監督達に師事し、「ボーイ・ミーツ・プサン」(’06)で監督デビューを果たす。その後、「夏美のなつ いちばんきれいな夕日」(’06)、「花婿は18歳」(’09)と立て続けに作品を発表。海外での撮影経験も豊富で、韓国での撮影環境も熟知。「カフェ・ソウル」では満を持して全編ソウルロケに挑んだ。

INTERVIEW

「カフェ・ソウル」監督 武正晴氏インタビュー

「カフェ・ソウル」初日(渋谷シアターTSUTAYA)の斎藤工さん、武正晴監督による舞台挨拶

日韓の撮影において驚いたこと、いつもと違っているな、と感じたことは?

まずは日韓合作ということでスタッフが通常の現場より多く、2週間という時間のない中で、感覚の違うスタッフ同士が力を合わせて1つのものを作っている点です。
日本の撮影現場と比較すると韓国のスタッフは監督に対してもあくまで監督主義というか、あくまで監督の意向によって動きます。日本の場合は、監督の意向をある程度理解して自ら動くスタッフが多い気がします。
韓国の人たちは、のんびりしていてとてもおだやか。通常は撮影日数も日本の数倍というのもあるかもしれません。撮影に入った当初僕なんかが大声で、しかも韓国人にわからない言葉で怒鳴るから、非常に怖がらせてしまいました。
獰猛な民族だと思われたに違いありません。韓国側のスタッフから「大声で怒鳴るのはやめてほしい」といわれて日本人の、日本の現場の荒々しさに気づきました。
ロケ地としては今までさまざまな国でロケに関わった事があり、フィリピンでは撮影中に銃で撃たれそうになったり、他の国でもそれに匹敵するようなこともありました。韓国ではそういった危険なことはなかったですね。以前釜山ロケを行った「ボーイ・ミーツ・プサン」のときもそうでしたが日本には近い感覚でやりやすかったです。ただし、日本との歴史を振り返って精神的な緊張感も一部ありました。

「カフェ・ソウル」で伝えたかったことをお聞かせ下さい。

家族愛とはいっても、出てくる人みんながいいところのみもっているというのではなく、ふてくされていたり、ダメだったりと何かしら短所をもっているというように描きました。きれいごとではないけれど、ダメな人や悪い人もストレスやプレッシャーなどいろんなものを受けながら真面目に生きているという現実もあると思います。家族や生きていく上での自身の反省を入れた、というのもあります。ここで結末まで詳しくお話できませんが自分なりの程よいハッピーエンドにしたつもりです。
映画はその時代の空気を記録するものだと思いますし、ある街のある時代の空気を表していけばいいのではないかと思います。
例えば僕の好きな川島雄三監督の作品には昭和30年代、40年代の空気が色濃く焼きつけられていて、時代の記録としてもおもしろいし、時代が見事にフィルムに置き換えられている。その時代や町の風景の中、ひょっとしたら今となっては貴重な、もう現実には再現することのできない風景と、その中に生きる市井の人々には、時代を経てもなお色褪せない輝きを見てとることができると、思うんです。
今回も、住宅街にひっそり佇む、それでいて街の人に愛されるような店があって、その周辺に住む人々と、ある町のある時代の凝縮された空気感を残せるように描きました。

「カフェ・ソウル」監督 武正晴氏インタビュー今後のやっていきたいことについてお聞かせ下さい。

大人が楽しめる作品を作っていきたいです。僕の父は映画がとても好きなんですが、最近久しぶりに会った時に「大人が観る映画がない」といわれてしましまいました。
ひょっとしたら誰でも映画を作れるのかもしれませんが、大人の感覚が耐えうる、40、50年を経て残る映画を作るのは難しいと思うんです。
今は、与えられたことに全力で向かっていくだけです。経験によって得たことにも沿って、先輩方に教えてもらったことを糧にしながら、ぶれずに映画作りに携わっていきたいです。
時には怠けたいなんて思ったりもしますが、監督たるべきは映画について、その作品について一番考えている人がやるべきなんです。映画と真剣に向き合っている先輩方に負けないよう頑張っていきます。
映画作りはしんどかったりしますし、つまらない思い、イヤな思いを制作中にあれほどしながらできあがったものがおもしろくない、なんて救われません。作ってる最中すごく楽しいというわけではありませんが、どうせ作るならいい映画をつくりたいですし、映画作りの仕事を奪われないように、いい作品を作るのみです。

(取材・文 広報室 小林真名実)